泰勝寺跡にある四つ御廟より、
泰勝寺歴代住職の墓域に行けますが、
そこにある2代住職春山和尚の墓の隣に、
宮本武蔵の供養塔とされる塔があります。
「伝 宮本武蔵供養塔」。
宮本武蔵は二刀流(二天一流)で知られる剣豪。
13~29歳迄の六十余度の勝負で、
一度も負けていないという猛者です。
吉岡一門、宍戸梅軒、宝蔵院胤栄、
そして佐々木小次郎等、
伝説や創作を含んで名勝負を繰り広げ、
晩年は熊本藩初代藩主細川忠利に招かれ、
藩士らに兵法を伝授しており、
後に霊巌洞に籠りで五輪書の執筆。
正保2年(1645)に62歳で死去しました。
この五輪塔の石は鎌倉~室町時代のもので、
数基の部材を寄せ集めたものとのこと。
武蔵の供養塔かどうかは不明ですが、
新規で建てられたものではないようです。
但し武蔵のものでは無い理由にはならず、
そう伝わっているのであれば、
たぶんそうなのだろうと思います。
■関連記事■
・福岡県北九州市 小倉宮本家墓所
武蔵の養子宮本伊織家の歴代墓所。
・宮本伊織の系譜
小倉藩家老宮本家について。