宮本伊織の系譜

小倉藩の筆頭家老である宮本家が、
宮本武蔵の養子宮本伊織の系譜であるとは、
知られているようで知られていません。

藩主一門を飛び越えて筆頭家老になるとは、
武蔵の威光伊織の才能かわかりませんが、
代々筆頭家老として存続しています。
※一門衆は家老にならない藩もありますし、
 飛び越えてが適切かはわかりません。

幕末の宮本家がどのような活躍をしたのか?
調べても良い資料には巡り会いません。


小倉藩士屋敷絵図
赤枠に宮本家の屋敷が記載されています。
現在の思永中学校のテニスコートのあたり。
宮本伊織家は初代の伊織が家禄5千石で、
代を重ねるにつれ3千石→2千百石と、
多少は減っているようですが、
2千百石で定着したようで、
幕末まで宮本家はこの家禄でした。

小大名に匹敵する大藩家老家を見慣れると、
筆頭家老家2千石って少ない気もしますが、
小倉藩自体が15万石ですので、
これは妥当といったところでしょうか。

幕末期の当主は宮本左織貞介という人物。
宮本家の所領は赤坂手向山周辺で、
赤坂の戦いでは自領が戦場になっています。
たぶん手勢も出したと思われますが、
その辺の詳しい資料を探してるのですが、
まだ見つかっていませんね。

■関連記事■
福岡県北九州市 慶応丙寅激戦の址
 手向山にある宮本家墓所。
福岡県北九州市 志津摩橋と中野橋
 小倉戦争の激戦地。
福岡県北九州市 小倉城
 小倉藩小笠原家15万石の藩庁。

宮本伊織の系譜」への2件のフィードバック

  1. kii 投稿作成者

    コメントありがとうございます。
    タイトルから系譜図があると想像されたのでしょうか?
    そうならば申し訳ございません。

    追記:宮本伊織の墓所についての記事がありますので、
    こちらをご参考お願い致します。
    福岡県北九州市 小倉宮本家墓所

    返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です