今年の夏は雨ばかりです。
特にお盆以降はひどいもんです。
小学生たちも外で遊べずかわいそう。
さて雨が降ったり止んだりですが、
晴の日に海を渡り北九州へ行ってみました。
小倉戦争激戦地赤坂は門司と小倉を結ぶ要衝。
田野浦、大里の戦いに勝った長州軍でしたが、
この赤坂の戦いで大打撃を被ります。
敗因は長岡監物に率いる熊本藩兵の力でした。
現在の赤坂はぎっしりと住宅が立ち並んで、
当時の面影はほとんどありません。
幕末とは関係ないのですが、ちょっと寄り道。
赤坂の手前には手向山(たむけやま)があり、
手向山公園として整備されています。
ここは、宮本武蔵の養子宮本伊織の領地で、
山頂に[宮本武蔵の碑]が建てられています。
また、麓には宮本家代々の墓所もあり、
伊織もそこで眠っています。
承応3年(1654)、宮本伊織が建立したそうです。
[兵法天下無双]と書かれていますね。
太平洋戦争時は、要塞化していたようで、
こういう跡が至る所にあります。
火力発電所の跡だそうです。
「宮本家墓所」。
一段高い中央に伊織の墓があるようですが、
私有地だそうで、そそくさと退散しました。
「慶応丙寅激戦の址」。
方々まわってやっと見つけました。
閑静な住宅街の小さな公園の隅にあります。
※場所:小倉北区赤坂3丁目10番
この赤坂の戦い激戦で、
奇兵隊小隊長山田鵬介以下16名が戦死。
近くに彼らの墓もあるようですが、
今回は探せませんでした。
■関連記事■
・福岡県北九州市赤坂 長州奇兵隊の墓
赤坂に眠る小倉戦争長州藩戦死者の墓。
・宮本伊織の系譜
宮本伊織は小倉藩の筆頭家老となっています。
・福岡県北九州市 延命寺/奇兵隊戦死墓
延命寺にある奇兵隊の墓石。