久住宿は豊後(肥後)街道の宿場町。
久住は熊本藩領であったようで、
藩営の御茶屋が設置されており、
熊本藩主が参勤の際に宿泊していました。
竹田市久住町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが久住宿跡。
南端より散策。
緩やかな上り坂が真っ直ぐ伸びており、
商店等が現在も営まれています。
「佐藤酒造(株)… 続きを読む
大分県竹田市 久住宿跡
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久住宿は豊後(肥後)街道の宿場町。
久住は熊本藩領であったようで、
藩営の御茶屋が設置されており、
熊本藩主が参勤の際に宿泊していました。
竹田市久住町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが久住宿跡。
南端より散策。
緩やかな上り坂が真っ直ぐ伸びており、
商店等が現在も営まれています。
「佐藤酒造(株)… 続きを読む
慶長6年(1601)に熊本藩主加藤清正は、
瀬戸内海への航路確保の為に、
鶴崎を領地とすることを幕府に請願し、
豊後国大分郡、直入郡、海部郡が、
熊本藩の飛地となりました。
清正は熊本城… 続きを読む