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上行寺は伊賀上野にある日蓮宗寺院。
藤堂高虎の領地替えに付き従って、
各地を移転した寺院でした。
「本堂」。
上行寺の創建は天正16年(1588)とされ、
当初の本拠紀伊国粉河に開山。
慶長16年(1611)に現在地に移転しており、
寛永7年(1630)に高虎が死去すると、
藤堂家の伊賀菩提寺となります。
「藤堂家歴代供養墓所」。
高虎の父藤堂虎は宇和島で死去しますが、
後に移封した上行寺に廟所が設けられ、
[御先祖根本の御菩提所]とされます。
歴代藩主の供養塔が建立され、
上野の藩士らは歴代藩主の命日に、
参拝を義務付けられていたという。
「御霊屋」。
藤堂虎高(高林院殿白雲好雪大居士)と、
虎高継室(常在院殿法林日廣大姉)の廟。
御霊屋は新しいもののようです。
虎高は土豪藤堂忠高の婿養子でしたが、
家督を高虎に譲ってより藤堂家は隆盛。
高虎が宇和島を本拠とした際に死去し、
当時宇和島にあった上行寺に葬られ、
上野移転に伴い改葬されました。
「寒松院殿道賢高山権大僧都」。
初代藩主藤堂高虎の墓。
初め浅井長政に仕えていましたが、
浅井家が織田信長に滅ぼされた為、
以後は仕官先を転々としていました。
後に豊臣秀長とその子豊臣秀保に仕え、
秀保が若くして没した為、
出家して高野山に入っています。
しかし才を惜しむ豊臣秀吉に呼び戻され、
7万石の大名となっており、
秀吉の死後は徳川家康に接近。
関ヶ原の戦いで戦功を挙げ、
最終的に津藩32万石の藩主となりました。
寛永7年(1630)、死去。
「寶樹院殿高嶽仙峯大居士」。
高虎の次男藤堂高重の墓。
寛永8年(1631)に死去。
「大通院殿智堂高勝権大僧都」。
2代藩主藤堂高次の墓。
高虎の死後に家督を相続。
江戸城の復興や徳川家光の霊廟など、
数多くの石垣普請を行っています。
しかしこの為に藩財政が悪化し、
新田開発や年貢増収も行いましたが、
財政難は改善される事はありませんでした。
「了義院殿実観高顕大僧都」。
3代藩主藤堂高久の墓。
代高次の長男に生まれ、
高次の隠居に伴い家督を相続しました。
悪化した藩財政再建の為に綱紀粛正に努め、
新田開発や水利事業を行っています。
また大名取り潰しの多かった時期の為、
お家存続の為に幕閣への接近を試み、
大老酒井忠清の娘亀姫を正室とし、
将軍徳川綱吉に寵愛された柳沢吉保に接近。
綱吉の学問講義にも盛んに出席するなど、
なりふり構わず媚を売っていたという。
領民からは仏のように慕われていたようで、
名君と称されていました。
つづく。
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