智積養水は昭和の名水百選。
智積村は昔から旱損所と云われ、
水不足の深刻な場所でした。
北側を流れる金渓川も水量は少なく、
灌漑用水に使用は出来なかった為、
水が豊富に湧き出る森村から、
桜一色村を経て智積村まで、
豊富な水を送る事となります。… 続きを読む
三重県四日市市 智積養水
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智積養水は昭和の名水百選。
智積村は昔から旱損所と云われ、
水不足の深刻な場所でした。
北側を流れる金渓川も水量は少なく、
灌漑用水に使用は出来なかった為、
水が豊富に湧き出る森村から、
桜一色村を経て智積村まで、
豊富な水を送る事となります。… 続きを読む
敢国神社は伊賀国一宮。
8代孝元天皇の第一皇子大彦命を祀り、
斉明天皇4年(658)に創建されたという。
創建当初は南宮山山頂付近に鎮座し、
後に山麓の現在地に遷座。
配祭神に少彦名命と金山比咩命を祀り、… 続きを読む
西蓮寺は伊賀市にある天台真盛宗の寺院。
寺伝によると延暦24年(805)創建とされ、
天台真盛宗開祖真盛上人が復興し、
この寺で晩年を過ごして遷化しており、
その廟所となっています。
訪問時はどんよりとした天気で、
あまり良い写真は撮れませんでした。
「本堂」。
木造平屋建入母屋造本瓦葺の本堂。
本尊は阿弥陀如来像… 続きを読む
伊賀上野城は津藩の支城。
一国一城令で大名の居城以外の城は、
破却を命じられていますが、
津藩領は伊勢国と伊賀国に跨っていた為、
伊賀国の一城として存続されます。
「白鳳門」。
上野高校と上野西小学校の間にある城門。… 続きを読む
雲出川には橋は架けられず、
渡し場が設置されていました。
「小野古江渡址」。
雲出橋の南詰西側に設置された跡碑。
本来の渡し場はもう少し下流ですが、
橋の袂に設置されています。
南北朝時代には南朝方と北朝方の境界で、
※現在も津市と… 続きを読む
雲出宿は伊勢街道の宿場町。
雲出川の北側にあり、
雲津や島貫とも呼ばれたようです。
雲出島貫町周辺。緑の線が伊勢街道で、
青くぼかした辺りが雲出宿跡。
「雲出宿跡」。
宿場の面影は余りない集落。
雲出川には橋が架けられず、
旅人で舟渡し… 続きを読む