高野山奥の院墓地/薩摩藩島津家墓所②

奥の院墓地にある薩摩藩島津家墓所②
薩摩藩島津家の墓所は複数あり、
3~7代藩主は既に紹介していますので、
こちらの墓所は②とします。

ここにあるのは初代及び2代藩主。

寛陽院殿泰雲慈温大居士(左)」、
慈眼院殿華心琴月大居士尊儀(中央)」、
泰清院殿關山良無大居士(右)」。
2代藩主(19代当主)島津光久の墓、
初代藩主(18代当主)島津忠恒(家久)の墓、
光久の嫡男島津綱久の墓。
初代忠恒は宗家17代島津義弘の三男。
継嗣であった次兄久保が病死した為、
豊臣秀吉の指名で継嗣となっています。
関ヶ原の戦い後の降伏交渉では、
義久に代わって上洛して謝罪しており、
島津家は本領を安堵されました。
慶長14年(1609)には琉球に侵攻し、
これを付庸国とした他、
奄美群島を琉球より割譲。
新たに鶴丸城を築いて城下町を整備し、
外城制や門割制を確立する等、
藩政の基礎を築き上げました。
2代光久は初代家久の次男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
貿易によって支えられていた財政が、
鎖国政策によって困窮する事となり、
金山開発新田開発産業振興等、
新たな財源確保を模索しました。
約50年の長期間藩主を務めており、
貞享4年(1687)に隠居しています。

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