高野山奥の院墓地/薩摩藩島津家墓所①

奥の院墓地にある薩摩藩島津家の墓所。
場所は法明上人供養塔の東側です。
薩摩藩島津家の墓所も複数ありますが、
一の橋より廻っていますので、
記事をUPした順から墓所①と致します。

ここにあるのは3~7代藩主。

薩摩藩島津家墓所」。
薩摩藩島津家は鎌倉時代より薩摩を支配し、
後に大隅日向まで版図と広げました。
豊後大友家肥前龍造寺家に打ち勝ち、
九州統一に限りなく近づきましたが、
豊臣秀吉九州征伐によりこれを断念。
以後は豊臣家に従属しています。
関ケ原の戦いでは西軍として参加しますが、
徳川家康のはからいにより所領を安堵。
薩摩藩主として廃藩置県まで続きました。


右側より、
大玄院殿昌道元新大居士」、
浄國殿鑑阿天清道煕大居士」、
宥邦院殿円鑑享盈大居士」、
慈徳院殿俊厳良英大居士」、
圓徳院殿覺満良義大居士」。
3代藩主島津綱貴、4代藩主島津吉貴
5代藩主島津継豊、6代藩主島津宗信
7代藩主島津重年の墓。
※玉垣内は非常に狭く良い写真が撮れません。
3代綱貴は2代島津光久の嫡男島津綱久の子。
父が家督を相続する前に死去した為、
嫡孫となって祖父の隠居に伴い家督を継ぎます。
領民や藩士からは慕われていたようですが、
治世では洪水大火手伝普請によって、
藩財政が逼迫していたようです。
4代吉貴は3代綱貴の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
17年の治世の後に病を理由に隠居し、
その後は26年も余生を過ごしています。
5代継豊は4代吉貴の長男で、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
重富島津家今和泉島津家を再興させ、
垂水島津家加治木島津家を合わせて、
一門家の家格を制定。
本人は病気がちであったようですが、
60歳まで生きています。
6代宗信も5代継豊の長男。
父の隠居に伴い家督を継ぎますが、
僅か3年で死去しています。
7代重年は5代継豊の次男に生まれ、
一門の加治木島津家を継いでいましたが、
兄宗信の死去によって宗家に戻され、
家督を相続する事となりました。
治世では宝暦治水事件が発生。
莫大な費用と80名を超える死者を出し、
その心労からか27歳で死去しています。

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