清川のはずれの県道45号線沿いに、
清河口で戦死した長州藩兵の墓があります。
「戊辰之役古戦場官軍墳墓」。
近くには[北楯大堰]という古い水路があり、
最上家家臣北楯利長の開削したものという。
右端の[赤心薫萬古]は岸信介によるもの。
左から「長州藩討死之墓」、
「官軍長藩内田百合熊公徳之墓」、
「官軍長藩松本茂太郎重行之墓」。
清川口で戦死した長州藩士2名の墓。
2人は長州藩第四大隊装条銃中間で、
内田は17歳、松本は18歳でした。
新政府軍の撤退後2人の遺体が残された為、
庄内藩側でこの場所に葬ったようです。
長州藩討死之墓はその2人の合葬墓で、
たぶん最初にこの討死之墓が建てられて、
後に双方の墓碑が建立されたのでしょう。
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