秋田県由利本荘市 山田合戦の跡

庄内藩三崎峠付近で新政府軍と抗戦しますが、
これとは別に別動隊を密かに鳥海山を越えさせ、
矢島陣屋を攻略します。

明治元年8月5日。この報を聞いた新政府軍は、
弘前藩成田求馬隊に久保田藩槍隊を配し、
本荘亀田福岡の各藩兵と共にこれを迎撃。
矢島陣屋を攻略した第四大隊と交戦し、
4時間の戦闘の末に新政府軍は退却しました。
最も激しい戦闘が行われたのが山田村付近で、
この戦いは「山田合戦」と呼ばれています。


西滝沢国道108号線沿いに、
山田合戦に関する碑が集められています。


文學院教誉玉仙居士」。
新政府軍戦死者の墓。
戒名のみで誰のものか不明ですが、
久保田藩若しくは広前藩の藩兵のひとりでしょう。


官軍 矢嶋口戦死」碑。
山田合戦の戦死者が刻まれた慰霊碑。
岩崎彦蔵岩沼小兵衛工藤善司榊田幸蔵、
浪岡三蔵
成田求馬原田範司藤田文吉、
以上弘前藩8名。
小野常助
北村卯吉猿田良助下田寛治、
土濃塚文治
北条駒之助
以上久保田藩6名。


津軽藩贈従五位成田求馬忠魂碑」。
成田求馬は弘前藩兵を率いて援軍に駆け付け、
矢島を陥落させた庄内藩第四大隊と激突。
激戦の末に戦死して首級は庄内藩兵に奪われ、
本陣となっていた廣祐寺に運ばれています。
戦後、従五位が贈られました。

成田の碑の横は後の戦役の地元戦死者のもの。


山田合戦之跡」碑。
石碑群の囲いの外にある跡碑。
見落としてしまいかけました。
この戦いに勝利した庄内藩は、
さらに進んで本荘城を落としています。

■関連記事■
青森県弘前市 弘前城
 成田求馬は弘前藩士でした。
秋田県秋田市 久保田城跡①/
 新政府軍として戦った久保田藩佐竹家の藩庁。
秋田県由利本荘市 矢島陣屋跡
 虚を突かれた矢島勢は城を捨てて退却しています。