秋田戦争」タグアーカイブ

秋田県横手市 横手城跡

久保田藩は出羽半国に広大な領地を持ち、
また大きな落ち度もなく常陸一国から、
出羽半国に減転封となっていた手前、
幕府は藩庁の久保田城の他に、
一国一城令の例外として、
横手城大館城の維持を許可。
3つの城を持つ事になりました。

横手城は久保田藩の支城で、
家老の戸村十太夫家が代々… 続きを読む

秋田県湯沢市 岩崎陣屋跡

久保田藩の3代藩主佐竹義処は、
弟の佐竹義長に新田2万石を、
甥の佐竹義都に同じく新田1万石を与え、
幕府の許可を得て支藩を立藩させます。
※義長の新田藩は佐竹壱岐守家
 義都の新田藩は佐竹式部少輔家
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山形県新庄市 新庄城跡

出羽新庄藩戸沢家鎌倉時代以来の名門で、
戦国時代の当主である戸沢盛安は、
角舘(秋田県仙北)を中心に勢力を拡大し、
戦では常に先頭に立ち単騎で敵に突っ込み、
鬼九郎夜叉九郎と恐れられたという。

盛安は豊臣秀吉小田原征伐に参陣し、… 続きを読む

秋田県由利本荘市 山田合戦の跡

庄内藩三崎峠新政府軍と戦いますが、
密かに別動隊に鳥海山を越えさせて、
新政府軍側の矢島陣屋を攻略します。
交代寄合生駒家の陣屋。
 戦後の高直しで矢島藩を立藩。


明治元年8月5日。
この報を聞いた… 続きを読む

秋田県由利本荘市 矢島陣屋跡

豊臣政権の三中老であった生駒親正は、
讃岐国17万2000石を与えられて、
東西に丸亀城高松城を築城しています。
親正は関ケ原の戦いで西軍に与しますが、
子の生駒一正が東軍として戦った為、
高松藩として生駒家はその後4代続きました。

しかし4代生駒高俊続きを読む

秋田県由利本荘市 本荘城跡

本荘城最上家家臣楯岡満茂が築城し、
満茂の居城となっていましたが、
最上家の改易により召し上げられています。
幕府は召し上げた本荘城のある由利郡を、
失脚した本多正純に与えようとしますが、
正純はこれを固辞しており、
将軍徳川秀忠の怒りを買ってしまい、
その末に正純は改易されました。
固辞された由利郡は… 続きを読む

秋田県由利本荘市 亀田城跡

鎌倉幕府地頭であった岩城家は、
豊臣政権磐城平12万石でしたが、
後に当主岩城貞隆会津征伐に参加せず、
これを理由に兄の蘆名盛重や、
弟の多賀谷宣家続きを読む