熊本市中央区横手にある横手阿蘇神社。
具体的創建時期は不明な小さな社ですが、
横手五郎という悲劇の人物に所縁があり、
更に吉田松陰も参拝した可能性もある為、
今回訪問してみました。
「横手阿蘇神社」。
祭神の健磐龍命は阿蘇大神とも呼ばれ、
神武天皇に仕えて阿蘇一帯を支配した人物。
肥後国一宮阿蘇神社の主祭神で、
九州地方で広く信仰されました。
吉田松陰は九州遊学の際、
ヨコテ八幡という社に参拝しており、
これが横手阿蘇神社ではないかと思われます。
八幡と阿蘇で神様が違うのですが、
横手には該当する神社がここしかありません。
これは松陰の勘違いかもしれませんし、
昔は八幡社と称していたのかも?
なのでここに松陰が参拝していると、
絶対の確証は得られないのですが、
たぶんここに参拝したと思います。
「横手の五郎尊像(社)」。
中を覗くと焼け焦げた木像があります。
この像は横手五郎という人物の像で、
赤井城城主木山弾正の遺児だという。
木山弾正は加藤清正との一騎打ちで敗れ、
その仇を討つ為に熊本に人夫として潜入。
熊本城築城で自慢の力を発揮し、
大層評判の働きぶりであったという。
しかし仇打ちの件が露見した為、
清正の家臣らによって井戸に落とされ、
上から大石を投げられてしまいます。
五郎はそれでも気丈に振舞い、
「砂を入れないと殺せないぞ!」と叫び、
遂に砂を井戸に流し入れられて、
そのまま殺されてしまったという。
人々は五郎の死を憐れんで木像を造り、
吉祥寺の毘沙門堂に安置。
これが明治以降にここに置かれました。
その後に火災で像は焼けてしまいましたが、
焼け残ったその像が安置されています。
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