千栗八幡宮は肥前国一宮のひとつ。
神亀元年(724)に肥前国養父郡司壬生春成が、
神託を受けて千根の栗が生えている地に、
社を建てて八幡神を祀ったのが創始。
承平年間(931-938)に宇佐八幡宮別宮となり、
以後はその五所別宮として崇敬されます。
戦乱によって幾度も社殿は焼失し、… 続きを読む
佐賀県三養基郡 千栗八幡宮
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千栗八幡宮は肥前国一宮のひとつ。
神亀元年(724)に肥前国養父郡司壬生春成が、
神託を受けて千根の栗が生えている地に、
社を建てて八幡神を祀ったのが創始。
承平年間(931-938)に宇佐八幡宮別宮となり、
以後はその五所別宮として崇敬されます。
戦乱によって幾度も社殿は焼失し、… 続きを読む
神埼宿は長崎街道の10番目の宿場町。
櫛田宮の門前町でもあったようで、
非常に賑やかな宿場であったとされます。
神埼市神埼町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが神崎宿跡。
「西木戸口跡」。
神埼宿の木戸は少し変わっていたようで、
通常の木戸は横に開く門ですが、
戸板を突き上げて縦に開いていた… 続きを読む
嘉瀬川は古来より灌漑利用された河川で、
江戸時代には佐賀藩の治水工事が度々行われ、
筑紫平野の穀倉地帯の水利を担いました。
しかし同時に水害も多く発生しており、
現在も根本解決に至っていないという。
「嘉瀬川ダム… 続きを読む
北方追分は長崎街道の本道である塚崎道と、
脇街道である塩田道の分岐点。
かつての長崎街道は塩田道が本道でしたが、
塩田川の氾濫で度々通行不能となった為、
これが不便であることから、
塚崎(武雄)に迂回されるようになって、
塚崎道が本道となっていったようです。
北方町大字志久周辺。
緑の線が長崎街道の本道(塚崎道)で、
青い線が脇街道(塩田道)。… 続きを読む
宝永5年(1708)に多久領主4代多久茂文は、
郷校東原庠舎の精神的支柱とする為に、
敷地内に多久聖廟を竣工させます。
それ以前の元禄期(1688-1704)には、
中華より孔子及び四哲像を取り寄せて、
※四哲:孔子高弟顔子… 続きを読む