佐賀県杵島郡 白木聖廟

宝永5年(1708)に多久領主4代多久茂文は、
郷校東原庠舎の精神的支柱とする為に、
敷地内に多久聖廟を竣工させます。
それ以前の元禄期(1688-1704)には、
中華より孔子及び四哲像を取り寄せて、
四哲:孔子高弟顔子曽子子思子孟子
東原庠舎内に安置していたようで、
これを聖廟の完成と共に移動させます。
しかし多久聖廟に置かれていた四哲像は、
孔子像を残して全て盗難されて紛失。
この為に新たに京都で5体の像を造らせ、
それを多久聖廟に安置すると共に、
残った孔子像は再び東原庠舎に置きました。

東原庠舎は明治維新後に廃校となりましたが、
明治14年に庠舎の孔子像が白木に移され、
当地の花村分校の校舎に安置されます。
その後の明治21年には白木聖廟が建立され、
校舎に置かれた孔子像を遷座。
現在は4月に行われる祭典の際のみ、
孔子像を拝観する事が出来るとのこと。


白木聖廟」。
現在は[儒教の祖神]としてではなく、
[学問の神様]として祀っているようです。
もちろん現在の日本で儒教を信仰する人は、
皆無に等しいとは思いますが、
[学問の神様]となって手も合わせられる。
これが日本の良いところですね。


後方に神社の本殿のような建物が!
どうやらここに安置されている模様。
この様に社殿形式なっているのは、
[神様]だからなのでしょう。

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