長崎県長崎市 長崎孔子廟

長崎孔子廟は明治26年に、
清国政府と在日華僑が建立した孔子廟
日本で唯一の中華様式の孔子廟で、
中国山東省曲阜の総本山と同様に、
随所に壮麗な伝統美を凝したもの。
幾度かの改修はあるものの、
戦火を免れて創建当時の姿を残します。


長崎孔子廟」。
入場料は大人660円(税込)。
他の国内の孔子廟とは違い、
清国人らによって建立された為、
完全な中華様式の孔子廟。
この為に日本の儒学と一線を画しており、
当ブログの趣旨から離れていますが、
本場(?)を知るのも大切ですので、
一度行ってみたいと思っていました。


儀門」。
入場すると現れる煌びやかな儀門
孔子廟の正式な内正門で、
3つの門扉の中央は閉ざされており、
左右の門扉から入場します。
中央は神様皇帝しか通れないとされ、
通常は閉ざされた神聖な門とのこと。


碧水橋及び櫺星門」。
儀門前にある碧水橋櫺星門
本来はこの橋を通るのが正式ですが、
チケット窓口参道が塞がれている為、
現在は入口から直接儀門に至ります。
石造の櫺星門鳥居の原形とされており、
これを通って橋を渡る形式は、
日本の神社でもよく見かけるもの。

儀門をくぐって中庭へ。

中庭」。
両廡と呼ばれる回廊に囲まれ、
孔子の高弟七十二賢人の像が並ぶ中庭。
これが観たかったといっても過言無し。
七十二賢人は北京で造られたもので、
忠実に基づき一人一人の顔が違います。


大成殿」。
孔子が祀られた長崎孔子廟の本廟。
廟内で一番古い建築物です。

古代中国の春秋戦国時代
魯国の思想家孔子が興した儒教は、
古代君子らの政治を理想としており、
周礼を重んじて仁義を実践し、
上下の秩序を守ることを唱えると共に、
武力による覇道を批判して、
君子の徳による政治を主張。
五常の徳目を守り、
父子君臣夫婦幼、朋友を重んじて、
関係を維持する事が大事であるとします。
日本への伝来は継体天皇7年(513)とされ、
基本経典である五経百済から入ったという。
※諸説あり。
後に南宋の儒者朱熹により朱子学が生まれ、
これが日本に広まって仏教と融合。
江戸時代文治政治が行われると、
朱子学は官学とされて重要な学問となり、
宗教と意識される事は無くなります。
それでも各地に孔子廟が建設され、
儒学の精神的支柱として孔子は敬われ、
現在もこの長崎孔子廟を含め、
国内に14の孔子廟があるとのことです。

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