長崎県長崎市 小曽根乾堂墓所

小曽根乾堂は長崎屈指の豪商で、
坂本龍馬の支援者として知られますが、
他にも書画月琴陶芸の他、
篆刻の才に優れていたようです。

小曽根家の代々墓所は晧台寺墓地でしたが、
乾堂の墓は市街より南の大平寺墓地

小曽根家墓所」。
長崎港が眼下に望める場所にある墓所で、
乾堂の長男小曽根星海が建立したもの。


小曽根家之墓(右)」、
大器院白厳乾堂居士
 大量院淨屯智功大姉
(中)」、
大覺院明心星海居士
 大保院智静康慧大姉
(左)」。
小曽根家の累代墓及び、
小曽根乾堂夫妻の墓と、
小曽根星海夫妻の墓。
乾堂は小曽根六左衛門の長男に生まれ、
文芸に造詣が深い父の教育により、
諸芸を身に付けていました。
書は春老谷 、水野眉川銭少虎に学び、
画は鉄翁祖門木下逸雲三浦梧門
篆刻は大城石農に師事し、
それぞれ優れた才能を発揮。
月琴明清楽を学んで一流となり、
後に御前演奏も行っています。
商売では福井藩佐賀藩の御用商を勤め、
浪の平海岸の埋立で港湾を整備。
廃窯となった亀山焼の復興にも尽力し、
また多くの志士らに援助しており、
坂本龍馬はその代表でした。
龍馬が興した亀山社中に出資し、
海援隊の本部も小曽根邸に置かれ、
乾堂は惜しみなく援助を続けました。
龍馬を乾堂に紹介したのは勝海舟で、
乾堂は海舟とも懇意だったという。
維新後は御璽及び国璽の篆刻、
日清修好条規締結の随員等、
明治政府に貢献した他、
長崎の近代化事業に尽力しており、
明治18年に死去しています。
長男の晨太郎(星海)は、
乾堂死去に伴い小曽根家当主となり、
貿易業汽船業林業土木業
製鉄業製陶業建築業等、
精力的に各種の事業活動を推進。
市議会議員県議会議員に選出され、
貧困救済や育英事業に寄付しており、
乾堂に似て篆刻も巧みだったようです。

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