眼鏡橋の近く中島川沿いに、
近藤長次郎の顕彰碑が建てられています。
「近藤昶次郎顕彰碑」。
平成23年に建立された顕彰碑で、
近藤長次郎顕彰会によるもの。
碑には長次郎が身重の妻お徳に、
送った最後の句が刻まれています。
うき雲の
たちおほふなる
うきよなり
きへなハこれを
可たみともみよ
訳:憂き雲が立ち覆うている、… 続きを読む
長崎県長崎市 近藤昶次郎顕彰碑
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眼鏡橋の近く中島川沿いに、
近藤長次郎の顕彰碑が建てられています。
「近藤昶次郎顕彰碑」。
平成23年に建立された顕彰碑で、
近藤長次郎顕彰会によるもの。
碑には長次郎が身重の妻お徳に、
送った最後の句が刻まれています。
うき雲の
たちおほふなる
うきよなり
きへなハこれを
可たみともみよ
訳:憂き雲が立ち覆うている、… 続きを読む
久々に上五島(中通島)へ行きました。
これで3度目ではありますが、
約10年ぶりに[龍馬ゆかりの地]を訪問。
「龍馬ゆかりの地」。
亀山社中が運用予定のワイル・ウエフ号は、
ユニオン号に曳航され鹿児島に向かう途中、
暴風雨に遭遇して… 続きを読む
慶応元年に神戸海軍操練所は廃止され、
勝海舟は軍艦奉行を罷免され、
勝の私塾神戸海軍塾も閉鎖となります。
坂本龍馬ら塾生の後事を案じた勝は、
彼らの庇護を薩摩藩に依頼。
薩摩藩は彼らに給金を出しており、
海軍塾出身の浪士集団が形成されました。
これが亀山社中となり… 続きを読む
長崎市街の東側に位置する風頭山。
その頂上に坂本龍馬像があります。
風頭山には10年前にバスツアーで訪問し、
長崎日帰りバスツアー②
みよちゃんを抱えて麓まで下りましたが、
今回はゆきちゃんを連れて来ました。
流石に麓までは行きませんが、
懐かしの史跡を巡ってみます。
「坂本龍馬之像… 続きを読む
茶貿易で財を築いた女商人大浦慶の墓所。
油商大浦太平次の娘に生まれた慶は、
傾いていた家業を立て直す事を誓い、
日本茶の貿易に乗り出します。
嘉永6年に通詞品川藤十郎の尽力を得て、
独商人テキストルに嬉野茶を託し、
イギリス、… 続きを読む
小曽根乾堂は長崎屈指の豪商で、
坂本龍馬の支援者として知られますが、
他にも詩や書画、月琴や陶芸の他、
篆刻の才に優れていたようです。
小曽根家の代々墓所は晧台寺墓地でしたが、
乾堂の墓は市街より南の大平寺墓地… 続きを読む
油屋町に大浦慶の居宅跡の碑があります。
「大浦けい居宅跡」。
老舗の油商大浦屋の跡地。
慶は当主大浦太平次の娘に生まれますが、
油商は不振で屋台が傾いていました。
慶は新しく茶の輸出を思いつき、
蘭通詞品川藤十郎の協力を得て、… 続きを読む