中通島の北に長く伸びた半島の1/3辺り、
仲知と呼ばれる場所が、
福江藩と平戸藩の藩境であったという。
五島列島は平戸島に程近く、
五島家と松浦家の間で領地紛争が絶えず、
領主が度々代わっていたようです。
「五島・平戸領境界(仲知)」。… 続きを読む
「福江藩」タグアーカイブ
長崎県南松浦郡 頭ヶ島天主堂
五島列島の中通島に付属する頭ヶ島。
江戸期は一応無人島だったようで、
伝染病を患ってしまった人が、
その療養地として住み着く以外、
人が寄り付く事はなかったという。
現在は上五島空港が整備されており、
上五島の玄関口となっていますが、
そもそも頭ヶ島は水と平地に乏しく、
縄文期に人の住んだ形跡はあるものの、
それ以降は集落が形成される事もなく、
放置された島であったようです。… 続きを読む
東京都文京区 吉祥寺/五島家墓所
吉祥寺にある福江藩五島家の墓所。
五島家の前身の宇久氏の出自は諸説あり、
一説には平清盛の弟平家盛が、
壇ノ浦の戦い後に宇久島へ逃れ、
宇久次郎と名乗ったとされています。
とはいえ家盛は若くして病死しており、
これについては伝承の域を出ません。… 続きを読む
長崎県南松浦郡 続代官所跡
仕事で年に数度上五島へ行きますが、
上五島を含む五島列島は全て福江藩領か、
その支藩格の富江領かと思っていましたが、
平戸藩領もあったようです。
新上五島町浜ノ浦周辺(続代官所跡の場所)
中通島西側の道土井、続、… 続きを読む
長崎県南松浦郡 鯛ノ浦六人斬り関連史跡
徳川幕府の時代、
キリスト教は禁教となっていましたが
明治維新によって幕府が倒れた後、
太政官による「五榜の掲示」により、
切支丹の禁止が改めて謳われました。
時はさかのぼって元治元年。
浦上でのプティジャン神父の信徒発見で、
各地に… 続きを読む
長崎県五島市 富江陣屋石蔵
五島列島ほぼ全域を支配していた福江藩には、
富江藩(領)という支藩(分家)がありました。
藩とはいっても石高は3000石。
基本的に藩は万石以上の大名の支配機構を指し、
この定義では富江藩は「藩」ではありませんが、
稀に石高は低くても大名格を与えられ、
「藩」と呼ばれる場合もあります。
※勿論特殊な事例で足利家の… 続きを読む
長崎県五島市 大円寺/福江藩五島家墓所
長崎県五島市大円寺町にある大円寺は、
五島列島を支配した福江藩五島家の菩提寺。
五島家が宇久家を名乗っていた時代、
16代宇久盛定が松月庵を再興し、
大円寺と改称して五島家菩提寺としました。
「大円寺山門」。
藩主家の菩提寺だけあって立派。… 続きを読む