仕事で年に数度上五島へ行きますが、
上五島を含む五島列島は全て福江藩領か、
その支藩格の富江領かと思っていましたが、
平戸藩領もあったようです。
新上五島町浜ノ浦周辺(続代官所跡の場所)
中通島西側の道土井、続、浜ノ浦、
飯ノ野、折島、柏島、串島の三島が、
五島での平戸藩の所領でした。
南松浦郡の地名もそれに由来。
続代官所はこれらを支配しています。
石油備蓄基地が望める続浜ノ浦に、
平戸藩飛地の続代官所跡があります。
続浜ノ浦郷の山神神社の石段前の小川より、
奥に入っていくと説明板がありました。
新上五島町には案内標識や説明板が、
至る所に設置されているので便利。
「続代官所跡」。
石段を登ると荒れ果てた屋敷が現れる。
一見するとだだの古い空き家のよう。
新上五島町の文化財とのことですが、
傷んでおり全くの手つかずのようでした。
中も荒れていて崩壊寸前といった感じ。
テレビもあるので人が住んでいた模様。
廃藩置県後に払い下げられて、
民家になっていたものが人が住まなくなり、
放置されて廃墟となったのでしょう。
よく見ると武家屋敷だとわかる造りです。
タンスの上に兜が!
他にも江戸時代に作られたであろう物が、
無造作に放置されています。
こういうのって価値ないのかな?
何らかの手を加えるべきだと思いますね。
現存する代官所建物は全国的にも貴重です。
平戸松浦家は元々松浦党と呼ばれる水軍で、
頭領たる主家がいるわけではなく、
領主の共同体のようなものだったようです。
その中で力を付けた下松浦党の平戸家が、
周辺各地域の松浦党を統一し、
松浦氏と改めて戦国大名となったという。
この上五島の平戸領は、
鎌倉期に五島まで進出した松浦党の一族が、
地元の青方氏と領地を争っていたもので、
南北朝時代に五島家の祖宇久氏が仲裁し、
中通島西側が松浦党の所領となりました。
以後松浦党の一族がこの地を治めましたが、
松浦党が統一された後は、
そのまま平戸松浦家の所領となり、
江戸時代も安堵されて約500年の間、
続代官所がこの地の行政を行っています。
かなり由緒正しい代官所のようですが、
現在の様子は無残としか言いようが無い。
今は世界遺産の整備もいいでしょうけれど、
手遅れにならないうち何とかしないとね。
■関連記事■
・長崎県平戸市 平戸城跡
平戸藩松浦家の居城跡。
・長崎県五島市 石田城跡
最も新しく築城された城のひとつ。
・長崎県南松浦郡 松園貫一翁頌徳碑
魚目にある祖父君神社の境内に建つ碑。