徳川幕府の時代、
キリスト教は禁教となっていましたが
明治維新によって幕府が倒れた後、
太政官による「五榜の掲示」により、
切支丹の禁止が改めて謳われました。
時はさかのぼって元治元年。
浦上でのプティジャン神父の信徒発見で、
各地に隠れキリシタンがいる事が判明。
信徒達が捕えられて弾圧が行われています。
幕府が倒れて新政府が樹立した後も、
上記のように最初は禁教となっており、
キリスト教が解禁となるのは、
明治6年まで待たねばなりませんでした。
明治3年正月。
中通島の鯛ノ浦鷹巣に住む中田寅吉宅に、
有川郷士4人組が現れ新刀試し斬りと称し、
寅吉の妻ヨネ、長男勇次、次女レツ、
平戸から出産に来ていたヨネの妹コンと、
コンの夫友吉を殺害。
胎児を含む6人が残忍に殺されました。
後に犯人は特定されて4人組は捕縛され、
切腹を申しつけられています。
この事件の被害者6人の遺体は、
福江藩の検死後に鯛ノ浦教会の裏山に、
遺品は敷地脇の窪地に埋葬されました。
「鯛ノ浦教会」。
被害者達は教会の裏山に埋葬されましたが、
当時はまだ教会はありませんでした。
キリスト教解禁後の明治13年に、
フランシスコ・ブレール神父が赴任し、
この場所に藁葺長屋を建てたのが、
鯛ノ浦教会のはじまり。
この聖堂は以前の聖堂の老朽化に伴い、
信徒の寄付によって建てられたもの。
「旧鯛ノ浦教会堂」。
藁葺長屋の後に建てられた木造の聖堂で、
前面には煉瓦の鐘楼が付属しています。
ちなみにこの鐘楼に使われている煉瓦は、
原爆で破壊された浦上天主堂の煉瓦との事。
「鯛ノ浦ルルド」。
教会の後方に造られているルルド。
ルルドとはフランスにある地名の事で、
聖母が現れた奇跡の地の事です。
聖母が現れた[マッサビエルの洞窟]と、
その上に立つ聖母を模したものがルルドで、
上五島出身の芸術家中田秀和によるもの。
ルルドの傍らにあるゆかりの聖人達の像。
左から
[ブレル氏海難殉教之碑]。
初代主任神父フランシスコ・ブレールは、
外海の出津教会を訪ねた後の帰路、
遭難して助けられた船の船員に、
金品を強奪されて殺害されています。
[ヨハネ五島草庵殉教之碑]。
日本二十六聖人のひとり。
五島列島の小島出身の19歳の若者という。
[中田秀和画伯之像]。
鯛ノ浦ルルドを造った芸術家で、
大浦天主堂信徒発見100年記念レリーフや、
浦上天主堂のフレスコ画や聖母子像が、
彼の代表作となっています。
[森松次郎翁顕徳之碑]。
森松次郎は幕末期の出津の染物屋で、
隠れキリシタンの指導者。
弾圧から逃れて鯛ノ浦に移り住みますが、
信徒発見後にプティジャン神父に会い、
五島の隠れキリシタンの指導者となります。
大浦天主堂にかくまわれた後、
プチジャン司教に同行してマニラに渡り、
帰国後は家族と共に再び潜伏しますが、
キリスト教の解禁後は大浦に移り住んで、
教会の記録や出版を手伝い、
各地で布教活動を行いました。
「鷹巣キリシタン殉教之碑」。
キリシタン六人斬り被害者達の碑。
友吉の息子長吉が生き残っていますが、
犯人らは惨殺の際に長吉をわざと生かし、
6歳の長吉の目の前で惨殺を行います。
この猟奇的な犯行は藩に知れることとなり、
6~7人の容疑者が捕えられましたが、
長吉は彼らの顔を見て誰が父を殺し、
誰が母を殺したかを的確に答え、
下手人が特定されることとなりました。
彼らは福江藩庁に送られて取り調べを受け、
引き回しのうえ切腹の処分となったという。
※引き回しされる程ですので、
切腹ではなく斬首だったかもしれません。
鯛ノ浦教会を出て県道を北に向かい、
実際の事件現場へ。
「鷹の巣キリシタン殉教碑」。
中田寅吉宅があった場所にある記念碑。
現在は綺麗に整備されて、
石碑と共に説明板も立っています。
予備知識なくここを訪れたら、
凄惨な殺人現場だとは思わないでしょう。
4人の下手人が特定されると、
福江藩の役人達は長吉の手により、
親の仇を討たせようと考えていましたが、
親族の反対があって断ったとの事。
復讐は本旨ではないとのことらしい。
「憶念寺」。
大正4年開山の比較的新しいお寺ですが、
五島には真宗大谷派の寺はなかったそうで、
明治12年に有川説教場が開設されてから、
初めて真宗大谷派が広められたようです。
キリシタンの多い土地柄だったでしょうし、
政府の意向があったのかもしれません。
この憶念寺の墓地に4人の墓があります。
「切腹した4人の墓(名前は伏せます)」。
先程斬首だったのかも?と書きましたが、
墓があるのでやはり切腹でしょうか?
後に被害者の手の骨が大浦天主堂に送られ、
殉教者の列に加えられたという。
事件は4人の切腹で終焉となりますが、
同時にキリシタン弾圧も終息したようです。
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