大分県竹田市 謎の岡藩城下町

大分県竹田市へ日帰り旅行。
下関から車で4時間位掛かりますので、
8時に出発して昼頃に到着します。

お目当ては大分諸藩の藩庁の中で、
唯一行っていない岡城跡。
滝廉太郎荒城の月のモチーフにした、
キングオブ山城と称される大規模山城です。
・・が、その岡城の記事は次回にまわし、
今回はその城下町の記事。

岡藩はとても不思議な藩で、
城下で隠れキリシタン遺跡が多く発見され、
がキリシタンを匿ったのではないか?
・・とさえ推測されています。
キリシタンへの弾圧が他と比べて緩く、
弾圧によって処刑された人数も少ない事や、
岡城の廃城によって城が解体された際、
御殿からキリシタン遺物が発見されたなど、
その様に思える事が非常に多いようです。

勿論文献等は全く残されてはいませんので、
推理や推測の域を出ないのですが、
確かにそういうフシは感じられる・・。
そんなミステリーが岡城下にはあります。

豊後竹田駅ネコ駅長ニャーにご挨拶。

お昼寝中でした・・。
ですがみよちゃんゆきちゃんは大興奮。
うるさいなぁ・・」といった感じで、
体をよじらせていました。
10年前から駅に住み着いた猫で、
JR九州の許可を得て駅長に就任とのこと。

豊後竹田駅より稲葉川を渡ると、
そこは岡藩の城下町。
良い意味で懐かしい感じがします。

城下西端の鳥岳にある小さな稲荷社へ。

鳥嶽稲荷神社」。
滝廉太郎記念館の裏手あたり。
何の変哲も無い小さな稲荷社なのですが、
ここを訪れたのには理由があります。


蝶々婦人のモデル
 オカネさんゆかりの地」。
3大オペラのひとつ「蝶々婦人」。
蝶々さん米海軍士官の子を授かりますが、
士官は任務を終えて米国に帰ってしまう。
帰ってくると信じて待つ蝶々さんですが、
帰ってきた士官は故郷で白人女性と結婚し、
子供だけを引き取って養育するという。
蝶々さんは子供を渡すことを約束し、
自害して果てるといった内容のオペラです。
他の3大オペラ「椿姫」と「カルメン」も、
話が悲劇的なのは変わませんが、
椿姫のヴィオレッタカルメンも、
彼女達を愛してくれる人がいました。
けれど蝶々さんはいないという、
なんだか救いようのない話。
オカネという女性も自害こそしませんが、
悲劇的な人生を歩みます。

西南戦争で住居を失ったオカネさんは、
仏海軍士官ピエール・ロティと同棲。
しかしロティは任務を終えて帰ってしまう。
オカネさんはロティが戻るのを待ちますが、
ロティは戻っても彼女に会おうとしません。
オカネさんは失意のまま故郷の竹田に帰り、
家の無いオカネさんは、
この鳥岳洞窟で暮らしました。

地元の出世頭広瀬武夫大尉が凱旋した際、
何故かオカネさんが鳥岳から降りてきて、
初対面の広瀬大尉に、
だんなさま。おかえりなさい」と挨拶。
既にオカネさんは気が狂っていたという。

ロティはオカネさんをモデルに、
小説「お菊さん」を発表。
小泉八雲ゴッホにも影響を与えたとされ、
蝶々婦人のジョン・ルーサー・ロングにも、
大きな影響を与えたとされます。
名作の陰に悲しい女性の人生がありました。
捨てた女をモデルに小説書いて儲けるとは、
どれほど面が厚かったのでしょうね。
※洞窟はどこかよくわかりませんでした。

鳥嶽稲荷神社を後にして、
竹田キリシタン研究所・資料館」へ。
キリシタン遺物のレプリカを展示してます。

サンチャゴの鐘」。
廃城令で岡城の建築物が取り壊された際、
西之丸不浄蔵で発見された鐘のレプリカ。
本物は竹田市立歴史資料館に収蔵され、
立替中で見ることは出来ませんでした。
これは本物の成分分析や音の分析を行い、
精巧に複製されたもので、
実際に鳴らすこともできます。

元々は長崎のサンチャゴ病院にあった鐘で、
見捨てられた者達を受け入れ、
慈善活動を精力的に行っていたという。
禁教令後に教会が次々に破壊される中、
それ故に最後まで破壊を免れていましたが、
元和6年(1620)に破壊されてしまいました。
そのサンチャゴ病院にあった鐘が、
どんな経緯で岡城にあるのかは不明ですが、
ひとつの説が説明されています。

長崎奉行に就任した府内藩主竹中重義は、
厳しいキリシタン弾圧を行いましたが、
密貿易などの不正を行ったために改易
この重義が鐘を密かに府内城まで運び、
後に不正が発覚して改易となった後に、
城番となったのが岡藩2代中川久盛で、
彼が府内城でサンチャゴの鐘を発見し、
岡城に運んだのではないかとされています。


ヤコブ像」。
この像も鐘と共に運ばれたとされます。
鐘と共に発見されたわけではありませんが、
岡城の麓に転がっていたのを発見。
その真上は不浄蔵があった場所であった為、
取り壊しの際に貴重なものと思われず、
転がり落ちたのではないかとされています。
こんな石像の頭部が転がっていたわけで、
鐘とセットでないと不自然ですね。
サンチャゴは聖ヤコブのスペイン語なので、
サンチャゴの鐘とセットならば、
聖ヤコブの頭部だろうとされました。

このようなキリスト教の遺物が、
藩主の住居のある西之丸にあった。
なんともミステリーです。


広瀬神社」。
広瀬武夫を祀る神社。
広瀬は日露戦争で戦死した軍神第1号
古い艦船を旅順港の湾口に沈めて、
旅順艦隊を閉じ込めようとしますが、
第二回旅順港閉塞作戦
沈没する福井丸から全員を退去させる際、
指揮官附の杉野孫七の姿が無かった為、
1人で福井丸に戻って船内を探しますが、
見つからない為に戻ろうとしたところ、
露軍の砲弾の直撃を受け戦死しています。


広瀬神社 拝殿」。
部下を探して戦死した事が称えられた他、
広瀬は人格者として慕われていました。
ここには地元の戦没者も合祀されており、
護国神社のような神社となっています。

広瀬神社を出て武家屋敷通りへ。
その裏山に洞窟礼拝堂があります。

キリシタン洞窟礼拝堂」。
岩盤をくりぬいた珍しい洞窟礼拝堂で、
宣教師を匿っていたともされています。
家老屋敷の敷地内だったようで、
隠れて造れるような場所ではありません。

他にも古い庄屋商家には地下室があり、
礼拝堂にしていたという話もあります。
また稲荷社も40ヶ所以上もあるらしく、
ユダヤ王、ナザレのイエスを表すINRIは、
中央にAを入れるとINARIになります。
竹田にお稲荷さんが出来たは禁令後で、
隠れ蓑として稲荷社を造ったとも。

色々と痕跡があってミステリーですが、
もちろん岡藩は幕府の禁教令に従って、
領内のキリシタンを取り締まっております。
踏み絵も実行し火あぶりも行いました。
ですが弾圧は他所と比べてあまりにも緩い
密かに保護していたという説があっても、
なんら不思議ではありません。
とはいえ明治に入って解禁された後に、
実はキリスト教を保護していました
と誰かが発表したわけでもなく、
藩が関与していた証拠はありません。

でもこの城下を観光して思うことは、
これ程の痕跡があるのだから、
匿っていたんじゃないか?
と思えてしまいます。

■関連記事■
大分県竹田市 岡城跡①/
 岡藩中川家の居城跡。
萩市 萩キリシタン殉教者記念公園
 浦上四番崩れの殉教者の記念公園。
大分県大分市 府内城跡
 キリシタン遺物は府内城にあったという。

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