五島列島の中通島に付属する頭ヶ島。
江戸期は一応無人島だったようで、
伝染病を患ってしまった人が、
その療養地として住み着く以外、
人が寄り付く事はなかったという。
現在は上五島空港が整備されており、
上五島の玄関口となっていますが、
そもそも頭ヶ島は水と平地に乏しく、
縄文期に人の住んだ形跡はあるものの、
それ以降は集落が形成される事もなく、
放置された島であったようです。
この頭ヶ島に安政5年頃、
有川に住む前田儀太夫が移り住み、
妻子と共に開拓を進めます。
しかしなかなか移住者は増えなかった為、
義太夫は鯛ノ浦のキリシタン達を誘い、
※大村藩からの迫害を逃れて、
外海からキリシタンが移住していた。
徐々に移住者が増えていったようで、
10年後には16戸130人が、
頭ヶ島に暮らすようになっています。
義太夫自体は仏教徒でしたが、
キリシタンを黙認していたようで、
協力して開拓を進めており、
慶応3年にはドミンゴ森松次郎が移住し、
※有川のキリシタン指導者。
仮の聖堂が建設されています。
しかし明治元年に五島崩れが発生し、
キリシタンの摘発が開始されると、
頭ケ島でも十数人が福江藩に摘発され、
算木責め等の拷問を受けました。
この拷問で改宗した者は戻されましたが、
改宗を拒否した者は牢獄に収容。
彼らは隙を突いて牢を脱出し、
島外に逃れていったという。
※そんな都合よく脱出出来るのか?
役人にも同情する者があったのかも?
栄え始めた集落は再び寂れます。
「頭ヶ島天主堂」。
頭ヶ島白島地区にある石造りの教会で、
鉄川興助の設計により大正8年に完成。
外観は粗い切石を積み重ねたもので、
ルスティカという手法を用いていますが、
内装は花模様を多用した女性的空間です。
明治6年にキリスト教が解禁されると、
各地に逃亡していた信徒が戻り、
再び集落は栄え始めました。
木造の天主堂も建てられており、
信徒の祈りの場となりましたが、
老朽化に伴い建て替えられる事となり、
信徒達の寄附により完成しています。
「ブレル師同伴信徒殉教者記念之塔(左)」、
「キリシタン拷問五六石之塔(中央)」、
「五島キリシタン復活信仰顕彰之碑(右)」。
天主堂右側の石垣上にある碑群。
左はブレル師と12名の同伴者の碑。
ブレル師(フランシスコ・ブレ―ル)は、
鯛之浦教会の初代主任司祭でしたが、
外海の出津教会を訪ねた後の帰路、
遭難して助けられた船の船員に、
金品を強奪されて殺害されました。
中央は算木責めの拷問の際、
膝の上に置かれた五六石を模した記念碑。
右は信仰復活から120周年を記念した碑。
「ドミンゴ森松次郎翁居館跡」。
天主堂裏手にある跡碑。
ドミンゴ森松次郎が住んだ場所で、
仮聖堂として使用された場所。
後に弾圧で集落が崩壊しますが、
キリスト教解禁で人々が戻り、
木造で初代天主堂が建てられています。
「白浜」。
美しい白い砂浜のある白浜。
白浜地区は頭ヶ島集落の中心的地区で、
三方を山に囲まれた形状の場所。
浜は全体が墓域であったようで、
他所から運ばれた病人が埋葬されたという。
対岸に浮かぶのはロクロ島。
良質の五島石が採れるようで、
天主堂もそこの石が使われたという。
「カトリック共同墓地」。
白浜にあるカトリックの共同墓地。
弾圧を耐えて生き抜いた信徒達が眠ります。
十字架の付いた墓石が並んでおり、
普通の日本の墓地とは趣きが違いますね。
上五島で最も美しい場所ともされる場所。
勿論上五島は他の場所も美しいですが、
そう断言する人もいるのは納得できました。
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