長崎県南松浦郡 ブレ―ル神父墓所

鯛之浦教会の初代主任司祭ブレ―ル神父は、
外海出津教会を訪ねた後の帰路、
遭難して助けられた船の船員に、
金品を強奪されて殺害されています。
彼らの墓所が鯛ノ浦にあるという事で、
再度鯛ノ浦に行ってみました。

教会には訪問した事がありましたが、
その際は墓所の事は知らず、
旧教会堂ルルド等を記事にしています。
長崎県南松浦郡 鯛ノ浦六人斬り関連史跡


鯛ノ浦教会墓地」。
教会より南に200m程度行った場所。
十字架の付いた墓石が並んでいます。


ブレール師他12名信徒の墓所」。
墓地の下段にある広い墓域。
ブレ―ルと12名の墓は一段高い奥側です。


OC RUX AVE
 SPES.T.NICA
 MEMORIE
 FR.A.BOUBELLE
 M.AP JN KAMIGOTO
 OUI CLN XII XINI.S
 NAUFP.AOIO
 PERIH.XVI.APRIL
 A.D.MDGCCLXXXV

 E.DAT XXXVIII 」。
※碑文は上記のように読めましたが、
 間違っている部分があるかもです。

フランシスコ・ブレ―ルの墓。
ブレ-ルは1847年フランス生まれ。
27才で司祭に叙階されており、
明治9年に布教の為に来日しました。
長崎市内周辺や伊王島等で布教に努め、
明治13年に初代主任司祭として、
中通島の鯛ノ浦に赴任。
日夜布教や教会業務に努力したという。
明治18年に資金受領の為、
外海出津のド・ロ神父の許に滞在しますが、
その際に鯛ノ浦で危篤信者が出て、
最後の祝福を切に望んだ為、
鯛ノ浦の信者の水夫12名が、
出津までブレ―ル師を迎えに来ました。
ブレ―ル師は彼らの船に乗り込み、
荒れた海の中で帰路につきますが、
嵐に遭ってしまい船は難破。
西海を漂流していると船影が見えた為、
助けを求めるとその船は近づいてきて、
彼らを救助してくれましたが、
受領した資金を所持していた為、
これを見るなり奪い取って、
彼ら全員を舵棒で撲殺してしまいます。

後に彼らを撲殺した船の乗組員のひとりが、
今生の別れに彼らを殺した事を語り、
彼らは皆撲殺される際に、
賛美歌を口にして死んたと話たという。
この乗組員はキリシタンだったようですが、
元々キリシタンだったのか、
この事件後にキリシタンになったのか、
とにかくこの事を秘密として生きており、
キリシタンとしてどのような気持ちで、
最後に打ち明けたのでしょうか?

■関連記事■
長崎県南松浦郡 鯛ノ浦六人斬り関連史跡
 鯛ノ浦教会を訪問した際の記事。
長崎県南松浦郡 頭ヶ島天主堂
 キリシタンが隠れ住んだ頭ヶ島。
長崎県長崎市 お告げのマリア修道会墓地
 浦上四番崩れを生き抜いた信徒達の墓地。