吉祥寺にある福江藩五島家の墓所。
五島家の前身の宇久氏の出自は諸説あり、
一説には平清盛の弟平家盛が、
壇ノ浦の戦い後に宇久島へ逃れ、
宇久次郎と名乗ったとされています。
とはいえ家盛は若くして病死しており、
これについては伝承の域を出ません。
後に五島列島全域を手中に納め、
20代当主宇久純玄が豊臣秀吉に恭順して、
五島列島の領地を安堵されました。
関ヶ原の戦いの後に徳川幕府が開かれると、
21代当主五島玄雅は所領を安堵され、
福江藩を1万5000石で立藩しています。
「五島家歴代之塔」。
福江藩五島家の累代墓。
江戸で死去した藩主の墓があったのか、
歴代の墓があったのか不明ですが、
現在はこの宝篋印塔に整理されています。
「瑞雲寺殿心巌良鉄大居士
(五島家先祖累代之墓所)」。
近くにある富江領五島家の累代墓。
墓石は初代領主五島盛清の宝篋印塔です。
守清は2代藩主五島盛利の三男に生まれ、
兄五島盛次が3代藩主に就任しますが、
生来病弱で藩政を担う事が出来ず、
兄に代わって藩政を代行していました。
盛次の死去後は甥五島盛勝が4代となり、
盛勝が幼少の為に引き続いて藩政を代行し、
その元服後に身を引いています。
福江藩より3000石を分与され、
富江領五島家を興して富江陣屋を建設。
領内経営の基礎を作り上げました。
以後は交代寄合として続きましたが、
度々福江藩側と捕鯨権等で住民が争い、
維新後も富江騒動を起こしています。
■関連記事■
・長崎県五島市 大円寺/福江藩五島家墓所
福江藩五島家の後期藩主墓所。
・長崎県五島市福江 石田城跡
福江藩五島家の居城跡。
・長崎県五島市 富江陣屋石蔵
交代寄合富江領五島家の陣屋石蔵。