眼鏡橋の近く中島川沿いに、
近藤長次郎の顕彰碑が建てられています。
「近藤昶次郎顕彰碑」。
平成23年に建立された顕彰碑で、
近藤長次郎顕彰会によるもの。
碑には長次郎が身重の妻お徳に、
送った最後の句が刻まれています。
うき雲の
たちおほふなる
うきよなり
きへなハこれを
可たみともみよ
訳:憂き雲が立ち覆うている、… 続きを読む
長崎県長崎市 近藤昶次郎顕彰碑
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眼鏡橋の近く中島川沿いに、
近藤長次郎の顕彰碑が建てられています。
「近藤昶次郎顕彰碑」。
平成23年に建立された顕彰碑で、
近藤長次郎顕彰会によるもの。
碑には長次郎が身重の妻お徳に、
送った最後の句が刻まれています。
うき雲の
たちおほふなる
うきよなり
きへなハこれを
可たみともみよ
訳:憂き雲が立ち覆うている、… 続きを読む
慶応元年に神戸海軍操練所は廃止され、
勝海舟は軍艦奉行を罷免され、
勝の私塾神戸海軍塾も閉鎖となります。
坂本龍馬ら塾生の後事を案じた勝は、
彼らの庇護を薩摩藩に依頼。
薩摩藩は彼らに給金を出しており、
海軍塾出身の浪士集団が形成されました。
これが亀山社中となり… 続きを読む
寺町通りの西側の風頭山山麓墓地群は、
急な斜面に所せましと墓が広がっています。
そこには多くの歴史上の人物の墓があって、
これを探すとなると大変。
狙いを定めて何度も行くしかありません。
晧臺寺墓地も境内の後ろ側に広がっており、
前回の楠本家墓所の弊振坂沿いは序の口。
奥の墓へ行くのはなかなか骨が折れます。
坂本龍馬の長崎での支援者小曽根家墓所は、… 続きを読む