山口県山口市 菜香亭

維新の元勲らが親しんだ料亭[菜香亭]。
明治10年の創業から平成8年まで、
約120年間営業を続けていました。
現在は市に建物が寄贈されて、
野田御殿跡に移築復元しており、
[山口市菜香亭]として一般公開しています。


菜香亭」。
菜香亭は初代主人齊藤幸兵衛が、
明治10年に開業した料亭。
創業当初は24畳で営業していましたが、
後に増築を重ねて営業を続けており、
このような建物になったようです。
平成8年に5代目主人おごうさんが閉業し、
山口市に寄贈されて移築されたもの。


菜香亭 借用齊幸之語音而与亭名」。
菜香亭の名は井上馨の命名。
この揮毫はその証拠となるもので、
主人齊藤幸兵衛の[]と[]の語音を借用し、
字を変えて料亭の名としています。

初代主人齊藤幸兵衛は萩油屋町に生まれ、
藩の膳部職に勤めていました。
藩主毛利敬親の食事を担当し、
藩政庁の山口移転に伴い山口に移住。
明治2年から竪小路割烹を営み、
明治5年の明治天皇下関行幸の際には、
賄方を命じられて表彰されています。
明治10年に御用達として西南戦争に従軍。
帰郷後に料亭[齋幸]を始めました。


大広間」。
菜香亭のメインフロアである百畳の大広間
数々の政治家や文人の扁額が飾られています。

以下は幕末維新に関わる人物の扁額。

快作楽」。
三条実美の揮毫。
彼は菜香亭の客ではありませんが、
山口に滞在していた際に面識があり、
この書を贈られたようです。


清如水平如衡」。
木戸孝允の揮毫。
木戸は開業年に死去しており、
菜香亭に足を運ぶことはありませんでした。
とはいえ主人と面識がありましたので、
この書が贈られたようです。


四面菜香滌気心」。
こちらも井上馨の揮毫。
井上は菜香亭の常連でした。
明治29年の自らの還暦祝いの際、
これを書いたようです。


一家天地自春風」。
伊藤博文の揮毫。
明治32年に菜香亭で夜会を開き、
その際に書かれたとされるもの。


江山豁如」。
山縣有朋の揮毫。
明治16年に山縣が久しぶりに帰郷した際、
菜香亭に寄って書かれたもの。


萬象具眼」。
山田顕義の揮毫。
明治18年に裁判所の視察で山口に帰った際、
菜香亭でこの書を書いたとされます。


高山流水」。
三浦梧楼の揮毫。
いつ書かれたものかは不明ですが、
菜香亭で一番大きな書であるとのこと。


有趣」。
杉孫七郎の揮毫。
明治18年の明治天皇山口行幸の際、
菜香亭に寄って書かれたとされるもの。

長州藩以外の人物の扁額もあります。

淵黙雷声」。
後藤象二郎の揮毫。
書かれた時期は不明ですが、
後藤も菜香亭に訪れたようです。


天意憐艸人間重晩晴」。
大鳥圭介の揮毫。
幕臣であった大鳥も菜香亭に来ています。
この書が文字数が一番多いですね。


敬天愛人」。
西郷従徳の揮毫。
残念ながら西郷隆盛のものではなく、
西郷従道の子従徳のもの。

他に寺内正毅田中義一岸信介
佐藤栄作安倍晋三ら県内出身の総理大臣や、
田中角栄竹下登等、
県外の総理大臣の扁額もありましたが、
趣旨と違うので紹介は割愛します。


中庭」。
奥に見える建物は畳の張替中で、
訪問時は見学出来ずでしたが、
佐藤栄作がよく愛用していた部屋とのこと。

記事が扁額の羅列となってしまいましたが、
それも仕方ない程のメンバーです。
山口来訪の際には是非とも行ってみて下さい。

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 幕末長州藩の事実上の藩庁。

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