伊藤博文」タグアーカイブ

四国連合艦隊の彦島租借要求

高杉晋作下関戦争の休戦交渉において、
彦島租借要求を拒否した伝説があります。
しかしながらこの話は、
英国の外交記録やアーネスト・サトウの日記、
回想録等には全く記載が無く、
伊藤博文の回想で語られるのみで、
現在では信憑性は極めて薄くなっています。

結論から言うと、
伊藤の証言以外に記録には全く無いわけで、
これを絶対にあったとは断定は出来ない。
但しそれを持ってそんな訳がない続きを読む

下関市赤間町 大坂屋跡

大坂屋稲荷町遊郭にあった大妓楼。
当時としては高層の3街建で、
建物は対帆楼と呼ばれていたという。
この対帆楼は小高い丘の上にあった為に、
非常に目立っていたようです。

全国に知られた格式高い稲荷町遊郭で、
その最大の妓楼であった大坂屋には、
坂本龍馬西郷隆盛小松帯刀
高杉晋作、… 続きを読む

東京都品川区 御殿山

高杉晋作長州藩攘夷過激派達が、
御殿山に建設中の英国公使館に対して、
焼き打ちを行った英国公使館焼討事件
非常に有名な事件ではありますが、
事件としては死傷者のない放火事件で、
それ程のものではありません。

御殿山は太田道灌の居館のあった場所で、
徳川家康が… 続きを読む

滋賀県長浜市 慶雲館

慶雲館は明治20年(1887)に、
明治天皇京都行幸啓で使用された建物。
※行幸啓は天皇皇后両陛下の外出。
行幸啓の帰路に大津から船を利用し、
長浜に上陸されるとのことで、
上陸後に鉄道へ乗り換える際に、
鉄道を待つ適当な場所が無かった為、
長浜の実業家浅見又蔵が私財を投じ、
突貫工事で完成させたとのこと。… 続きを読む

東京都品川区 伊藤博文墓所

伊藤博文は明治42年に暗殺され、
国葬の後に彼の別邸があった事から、
西大井に葬られる事となっています。


大勲位伊藤博文公墓所」。
JR西大井駅から南西方向に行くとあります。
通常は非公開のようですが、
毎年秋に数日公開されるとのこと。
その期間を狙っての訪問はできませんので、
非公開とは知りつつも訪問致しました。

仕方ないので隙間から墓を撮影。

従一位大勲位伊藤博文公墓続きを読む

山口県宇部市 船木宰判勘場跡/御茶屋跡

長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。

初期の宰判は厚東郡吉見に置かれましたが、
御茶屋の移設に伴い宰判も船木に移動し、
宰判勘場と御茶屋が併設されました。… 続きを読む

神奈川県横浜市 明治憲法起草之地

明治憲法の正式な名称は大日本帝國憲法
明治22年2月11日に公布され、
明治23年11月29日に施行。
戦争に敗れ日本国憲法に改正されるまで、
日本の根本規範とされていました。

その明治憲法草案の構想が練られた場所が、
横浜市の金沢にあります。

明治憲法起草之處」碑。
明治20年に伊藤博文伊東巳代治、… 続きを読む