高杉晋作ら長州藩攘夷過激派達が、
御殿山に建設中の英国公使館に対して、
焼き打ちを行った英国公使館焼討事件。
非常に有名な事件ではありますが、
事件としては死傷者のない放火事件で、
それ程のものではありません。
御殿山は太田道灌の居館のあった場所で、
徳川家康が江戸に入封してからは、
品川御殿が建設されたようで、
鷹狩の休憩、茶会等に利用されました。
後に桜が周辺に植えられていますが、
御殿は元禄15年(1702)に焼失。
その後は再建されることはなく、
残った桜が増えて桜の名所となり、
庶民に親しまれるようになっています。
「歌川広重 御殿山花盛」。
花見を楽しむ3人の女性達。
平和で楽し気な雰囲気ですが、
幕末には江戸湾の防備の為、
品川台場の埋め立て工事が行われ、
御殿山の土が使用されたようで、
斜面が削られていたようです。
幕府はこの景観の変わった御殿山に、
更に諸外国の公使館建設を決定。
本格的な洋風建築の建物が設計され、
幕府作事方の大棟梁辻内近江が担当し、
英国公使館から建設が開始されました。
晋作ら江戸在勤の攘夷派は、
横浜居留地の焼き討ちを計画しますが、
これがバレて桜田上屋敷に謹慎。
謹慎中の彼らは御楯組を結成して、
御殿山に建設中の英国公使館を、
焼き討ちしようと計画します。
文久2年12月12日。
品川宿の旅龍相模屋(土蔵相模) にて、
御楯組のメンバーらは、
完成間近の英国公使館に忍び込み、
公使館の焼き討ちを実行。
館に侵入して戸板や建具類を積み重ね、
自作の爆弾で全焼させました。
現場から無事に逃げた彼らは、
芝浦の妓楼で燃えさかる公使館を眺め、
これを肴に酒盛りをしたという。
※焼き打ちの参加者は、
高杉晋作、久坂玄瑞、大和弥八郎、
渡辺内蔵太、志道聞多、松島剛蔵、
寺嶋忠三郎、有吉熊次郎、赤禰武人、
山尾庸三、白井小介、伊藤春輔、
堀真五郎、福原乙之進の14名という。
「御殿山界隈」。
現在の御殿山は開発で面影は無し。
ミャンマー連邦共和国駐日大使館や、
その隣の高級マンション辺りが、
英国公使館の建設現場と思われ、
台場埋め立ての土を採取した土取場跡は、
御殿山庭園となっているようです。
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