遊郭」タグアーカイブ

下関市赤間町 大坂屋跡

大坂屋稲荷町遊郭にあった大妓楼。
当時としては高層の3街建で、
建物は対帆楼と呼ばれていたという。
この対帆楼は小高い丘の上にあった為に、
非常に目立っていたようです。

全国に知られた格式高い稲荷町遊郭で、
その最大の妓楼であった大坂屋には、
坂本龍馬西郷隆盛小松帯刀
高杉晋作、… 続きを読む

下関市赤間町 稲荷町 裏町遊郭跡

下関は壇之浦の戦いのあった地で、
栄華をほこった平家が滅び、
一緒に京から落ち延びた高級女官らが、
平家が滅んだ後に数多く残されました。
宮中で暮らしていたこれら女官達は、
この地で生きる術を持たず、
春を売るより他はありません。
そんな彼女らが春を売ったのが稲荷町で、
彼女らは漁師相手の遊女続きを読む

下関市田中町 見返橋

思案橋見返橋思切橋と称される橋は、
全国に数多く見られますが、
その多くが遊郭に関係しています。
遊郭に行こうか思案した橋が思案橋で、
遊郭に行った客が後ろ髪を引かれ、
後ろを見返った橋が見返橋。
そして思い切って渡った橋が思切橋です。… 続きを読む

長崎県長崎市 丸山花街跡

丸山花街は寛永19年(1642)に、
長崎市中の遊女屋が集められて始まり、
昭和31年に売春防止法が公布されるまで、
遊郭街として栄えた場所。


長崎丸山華街之跡」。
丸山花街があった事を示す標柱と説明板。
ここは花街の東端に位置する場所で、
背後の石垣は遊郭街を囲むものの名残。


「… 続きを読む

京都府京都市 島原花街跡

島原花街は江戸初期の公娼地六条三筋町が、
寛永18年(1641)に朱雀野に移転させられ、
その移転騒動が島原の乱のようであった為、
島原と呼ばれるようになったという。
揚屋茶屋芸妓を抱える置屋に分かれ、
娼妓続きを読む