中書島は四方を川に囲まれた場所で、
※南:宇治川、西:濠川、北/東:宇治川派流。
脇坂安治が中務少輔となり屋敷を建てると、
その役職の唐名[中書]から[中書様]と呼ばれ、
[中書様の住む島]という意味で、
中書島と呼ばれるようになったとされます。
街道が通り水上交通も出来る事から、
交通の要所であった事や、
酒処でもあった為に人が集まり、
遊郭や芸妓屋が軒を連ねていたようで、
非常に華やかな場所であったという。
「長建寺」。
真言宗醍醐派の寺院で弁財天を祀ります。
弁財天が本尊の寺院は京都で唯一とされ、
中書島遊郭の遊女らに信仰された他、
水運の守護神としても崇敬されました。
「中書島遊郭跡」。
遊郭跡の形跡は余り残っていません。
遊郭は東柳町、西柳町辺りだったようで、
遊女屋は東柳町に多かったとのこと。
僅かですが[いかにも]な建物もあります。
現在は居酒屋らしい(しらんけど)。
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