京都府京都市 中書島遊郭跡

中書島は四方を川に囲まれた場所で、
※南:宇治川、西:濠川、北/東:宇治川派流
脇坂安治中務少輔となり屋敷を建てると、
その役職の唐名[中書]から[中書様]と呼ばれ、
[中書様の住む島]という意味で、
中書島と呼ばれるようになったとされます。
街道が通り水上交通も出来る事から、
交通の要所であった事や、
酒処でもあった為に人が集まり、
遊郭芸妓屋が軒を連ねていたようで、
非常に華やかな場所であったという。


宇治川派流(辨天浜)」。
荷揚場として賑わっていた場所で、
薪炭酒類を運ぶ小舟が往来した他、
十石舟三十石船と呼ばれる旅客船が、
大坂まで旅人を運んでいました。


月桂冠大倉記念館」。
酒造会社月桂冠の企業博物館。
月桂冠は寛永14年(1637)創業の老舗で、
全国的にも有名な日本酒メーカー。
創業地の酒蔵を改装したもので、
見学の他に吟醸酒の試飲ができます。


長建寺」。
真言宗醍醐派の寺院で弁財天を祀ります。
弁財天が本尊の寺院は京都で唯一とされ、
中書島遊郭の遊女らに信仰された他、
水運の守護神としても崇敬されました。


中書島遊郭跡」。
遊郭跡の形跡は余り残っていません。
遊郭は東柳町西柳町辺りだったようで、
遊女屋は東柳町に多かったとのこと。


僅かですが[いかにも]な建物もあります。
現在は居酒屋らしい。


宇治川派流(寺田屋浜)」。
中書島北側の浜は寺田屋浜と呼ばれ、
寺田屋お登勢で知られる寺田屋の所有。
寺田屋の三十石船は船足が速い事で知られ、
評判が良く繫盛していたとされます。


「龍馬とお龍、愛の旅路」像」。
寺田屋での難を逃れた坂本龍馬は、
伏見薩摩藩邸に暫く匿われた後、
お龍と共に三十石船で大坂へ向かい、
薩摩に向けて旅立っています。
この像はその時の様子とのこと。

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