丸山花街は寛永19年(1642)に、
長崎市中の遊女屋が集められて始まり、
昭和31年に売春防止法が公布されるまで、
遊郭街として栄えた場所。
「長崎丸山華街之跡」。
丸山花街があった事を示す標柱と説明板。
ここは花街の東端に位置する場所で、
背後の石垣は遊郭街を囲むものの名残。
「… 続きを読む
長崎県長崎市 丸山花街跡
コメントを残す
丸山花街は寛永19年(1642)に、
長崎市中の遊女屋が集められて始まり、
昭和31年に売春防止法が公布されるまで、
遊郭街として栄えた場所。
「長崎丸山華街之跡」。
丸山花街があった事を示す標柱と説明板。
ここは花街の東端に位置する場所で、
背後の石垣は遊郭街を囲むものの名残。
「… 続きを読む
島原花街は江戸初期の公娼地六条三筋町が、
寛永18年(1641)に朱雀野に移転させられ、
その移転騒動が島原の乱のようであった為、
島原と呼ばれるようになったものという。
揚屋や茶屋と芸妓を抱える置屋に分かれ、
娼妓… 続きを読む
金沢は加賀前田家の本拠地。
前田利家が賤ヶ岳の戦い後に金沢に入り、
金沢城を築城して城下町を整備したもので、
加賀前田家は豊臣政権の五大老を経て、
徳川幕府では唯一の百万石大名となります。
その百万石の御城下として金沢は繁栄し、… 続きを読む
赤坂宿は東海道の36番目の宿場。
御油宿や吉田宿と共に飯盛女を多く抱え、
活気のある宿場町だったという。
豊川市赤坂町。緑の線が東海道で、
青くぼかした辺りが赤坂宿跡。
「赤坂休憩所 よらまいかん」。
街道散策の客や市民の無料休憩所。… 続きを読む
高瀬川は鴨川の西側にある運河。
川沿いの木屋町通には問屋が立ち並び、
旅籠や料亭なども軒を連ねており、
花街の先斗町も栄えていました。
長州… 続きを読む
三国湊は九頭竜川河口にある港町で、
古来より発達していたようです。
中世には荘園の年貢積出港であった他、
三津七湊のひとつとなっており、
日本海交易の拠点として栄え、
近世には北前船の寄港地となりました。
「三国湊(九頭竜川河口)」。
現在は西岸の福井臨海工業地帯と共に、… 続きを読む
赤間関宿は山陽道(西国街道)の終点。
本州の西端に位置しており、
九州への玄関口にもなっています。
宿場の顔以外にも北前船の寄港地でもあり、
上方と北国を繋ぐ中継地点であった為、
大変な賑わいであったという。
「御国廻御行程記 赤間関」。
宿場は阿弥陀寺… 続きを読む