宮川町は京都の五花街のひとつ。
鴨川左岸東山区の宮川筋二丁目から、
六丁目辺りまでが花街で、
細く長い通りに風情ある街並みが続きます。
「宮川町の街並み」。
安土桃山時代のより興ったとされ、
当初は遊女が接待をしていた他、
若衆歌舞伎の小屋や陰間茶屋が立ち並び、
10代の男娼が接待をしていたという。
その後に幕府の取り締まりが厳しくなり、
若衆歌舞伎や陰間茶屋は消滅。
以降は茶屋町に変化していったようで、
宝暦年間に正式に幕府に認可されましたが、
その殆どは遊郭であったという。
売春防止法施行により現在では、
芸妓一筋の花街に変化しています。
幕末期には多くの尊攘志士らが集まり、
元治元年6月5日の池田屋事件の直後は、
新選組等による浪人狩りが行われ、
内山太郎右衛門が捕縛され、
吉岡庄祐、野老山吾吉郎が惨殺されました。
また伊東甲子太郎は新選組脱退の後、
宮川町に愛人を置いていたとのこと。
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