高杉晋作が下関戦争の休戦交渉において、
彦島租借要求を拒否した伝説があります。
しかしながらこの話は、
英国の外交記録やアーネスト・サトウの日記、
回想録等には全く記載が無く、
伊藤博文の回想で語られるのみで、
現在では信憑性は極めて薄くなっています。
結論から言うと、
伊藤の証言以外に記録には全く無いわけで、
これを絶対にあったとは断定は出来ない。
但しそれを持ってそんな訳がないとするのも、
これまた変な話ではあります。
そんな訳がない派の意見によれば、
当時の彦島は漁村が点在する程度で、
租借するなら本土の方がまだまし。
岩礁や浅瀬が多く軍艦の停泊港が無い為、
彦島租借を考えるのはありえないというもの。
つまり彦島より赤間関等の租借を望む筈で、
彦島は何ら価値が無いという事らしい。
はて?果たしてそうであろうか?
軍艦の停泊にどれほどの水深が必要なのか、
僕は余り詳しくは知りませんが、
そもそも赤間関にも軍艦は停泊出来ない筈。
もし出来るならば福浦湾でも出来るでしょう。
※そもそも千石船でも各地の港で、
沖に停泊する事が多かった。
なので沖停泊して小舟で上陸する事となり、
それならば流れの早い海峡よりも、
南風泊に停泊する方が理想的。
また租借するなら町を造るでしょうし、
安全面からすると彦島の方が断然良い。
竹崎や伊崎にも充分近いので、
交易するもの支障は無し。
また島を要塞化する事も可能ですし、
色々な面で本土よりも絶対に有利。
更に海峡も抑えられますし、
対岸にも睨みを利かす事も出来ますので、
彦島の租借は悪くは無い筈です。
伊藤が彦島租借の件を証言したのは、
自分達が言いなりになっただけではないと、
話を盛ったともよく云われますが、
これは相手方にも言える事。
租借はかなり大きな事案であり、
正式にこれを要求するならば、
断わられるのは落ち度となりえる。
なので公式記録としなかったという事も。
また正式にではなく雑談の中で話題となり、
記載するまでもない程度だったのかも?
勿論これは想像の話ですが、
公式記録が無いだけで絶対ないというのは、
言い切れないと思います。
このブログでは個人や団体の名誉を重んじ、
それを貶める説は否定的ですが、
比較的に英雄的な内容は肯定的になります。
個人や団体の名誉が傷つく説話は、
無かった方向にバイアスが掛かり、
英雄的なお話にはあった方向へ掛かるので、
読まれる方にはこの辺をご了承のうえ、
判断なさって頂ければと。
個人的にはあったとも言い難いのですが、
無かったとはっきり言われると??となる。
そんな感じですかね。
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