明治7年の台湾征伐や同10年の西南戦争、
更に同27年の日清戦争において、
西楽寺が負傷者の療養所となっていたという。
「西楽寺」。
彦島本村町にある時宗の寺院。
本尊の阿弥陀如来坐像は、
平重盛の持仏と伝えられています。
後に彦島開拓十二苗祖の河野氏の一族で、
時宗の開祖である一遍上人が来島した際、
同行していた高弟西楽法師を留まらせ、
その西楽法師によって開山。
阿弥陀如来坐像は彦島開闢尊像として、
以後は島民に尊ばれたとのこと。
この尊像の話は多く語られますが、
療養所であった件の情報は殆ど無し。
現在の境内は狭く本堂を撮影する場所も無く、
とても療養所となったとも思えません。
野戦病院では戦病死者墓地等が残りますが、
彦島でそのような墓地は聞かない。
病院ではなくあくまで療養所という事なので、
既に手当をされた負傷者が数人単位で、
療養生活を送ったのかもしれませんね。
■関連記事■
・下関市彦島 十二苗祖墳墓
彦島を開拓した十二苗祖の墓。
・下関市彦島 福浦
北前船の寄港地として栄えた港町。
・下関市彦島海士郷町 身投げ岩
平家の女官達が身を投げたとされる岩。