鹿児島県指宿市 濱崎家屋敷跡

NTT西日本指宿電話交換所の南西隅に、
8代目濱崎太平次の誕生地碑があります。
太平次は薩摩藩の財政を支えたともされ、
全国に支店を持っていた豪商で、
江戸期の実業界三傑とも称されていました。


浜崎太平次翁生誕の地」碑。
NTTの敷地内に建てられた碑。
濱崎家の本宅があった場所であり、
その広さは2反半(2480m2)もあったという。
薩摩藩主が二月田温泉等に湯治に訪れた際は、
必ず濱崎家で逗留していたとされ、
碑のある西側の通りは御本陣馬場と呼ばれ、
逗留中は庶民の通行を禁じたとされます。


第八代濱崎太平次像」。
指宿港の埠頭に立つ8代太平次の像。
訪問時は夕方で天気も良くなかったのですが、
荒れた海に乗り出している感が出て、
実際に見ると結構良かったのですが、
写真では暗くて余り伝わりませんね。


横側から。
こっちの方が伝わりますでしょうか?
8代太平次は琉球貿易で家業を立て直し、
更に奄美大島等の離島に生活必需品を送り、
特産品の砂糖と交換。
これを売って莫大な利益を上げており、
以降は事業を拡大して全国に支店を置き、
造船業も始めて更に利益を上げました。
文久3年に大坂で客死していますが、
跡を継いだ9代太平次は21歳で早逝し、
10代太平次がその跡を相続。
実質的な経営は番頭肥後孫左衛門が行い、
その事業も続けられましたが、
10代太平次が放蕩を繰り返した為、
次第に事業は傾いて没落しています。
後に10代太平次は人力車夫に落ちぶれ、
最後は昔馴染みの芸者の同情を受けて、
養われるに至ったとされています。

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