北方追分は長崎街道の本道である塚崎道と、
脇街道である塩田道の分岐点。
かつての長崎街道は塩田道が本道でしたが、
塩田川の氾濫で度々通行不能となった為、
これが不便であることから、
塚崎(武雄)に迂回されるようになって、
塚崎道が本道となっていったようです。
北方町大字志久周辺。
緑の線が長崎街道の本道(塚崎道)で、
青い線が脇街道(塩田道)。
赤丸の位置が追分です。
「北方追分跡」。
北方追分のあった場所は、
現在も分岐点ではありますが、
上の地図のように国道34号線が西へ伸び、
更にJR佐世保線も通っている為、
塩田道側の道は失われています。
「追分観音堂(志久庵室)」。
北方追分には追分観音堂があり、
旅人が休憩していたようで、
観音様に旅の安全を願ったとのこと。
■長崎街道の宿場町
■関連記事■
・佐賀県杵島郡 小田宿跡
長崎街道の14番目の宿場町。
・佐賀県武雄市 北方宿跡
長崎街道の15番目の宿場町。
・佐賀県武雄市 鳴瀬宿跡
長崎街道塩田道の宿場町。