北方宿は長崎街道の宿場町。
塚崎道が開かれた後に宿場となっており、
半宿程度の規模だったようですが、
本陣、駕籠立場、高札場等、
基本的な宿駅機能を全て有していました。
長崎方向へは塚崎宿、嬉野湯宿と、
温泉場のある宿場もあり、
小倉方向の小田宿も大きな宿場だった為、
旅人の宿泊は多くなかったという。
これとは別に北方では石炭が採れた為、
石炭を山積みした人馬も多く、
別の賑わいはあったようです。
初代英国駐日公使オールコックは、
この炭鉱の様子を自著に記しています。
武雄市北方町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場跡。
「北方宿跡」。
現在の北方宿跡は住宅街。
茅葺きの商家も少々残っています。
「北方本陣跡」。
北方宿本陣を務めた稗田家の住宅。
文化9年(1812)には伊能忠敬一行が宿泊。
長崎奉行や幕府の役人が宿泊した他、
佐賀藩主も休憩に立ち寄ったという。
道向いには脇本陣もあったようですが、
現在は空き地です。
北方宿の東の入口辺りには、
当時と同じような形で堤が残っています。
■長崎街道の宿場町
■関連記事■
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長崎街道の17番目の宿場町。
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長崎街道の18番目の宿場町。