鳴瀬宿は長崎街道の宿場町。
江戸時代初期は本道の宿場でしたが、
塚崎道開通で脇道となった為、
※かつての本道は塩田道と呼ばれました。
駅宿としての賑わいは限定的でした。
橘町芦原周辺。緑の線が街道筋で、
赤丸で囲んだ辺りが宿場のあった場所。
「鳴瀬宿の北側入口」。
国道498号線より脇道に逸れた場所が、
鳴瀬宿の北側入口となっています。
宿場は鳴瀬山の西麓に沿っていました。
「鳴瀬宿跡」。
宿場跡は古い住宅街となっており、
古い町屋も少しは点在しています。
街道筋の殆どが民家ですが、
江戸時代より糀屋を続ける角味噌醤油が、
なるせみそと醤油を今も生産しています。
「西岸寺」。
50段程の石段上にあるお寺。
鳴瀬宿の本陣を務めていたようです。
たまに思うのですが、
この50段の石段は駕籠で登るのか?
それとも殿様が歩いてのぼるのか?
どっちだったんでしょうね。
「殿様用玄関」。
大名宿泊の際のみに使用された玄関。
鍋島家の家紋が施されています。
「旧六角川」。
現在の六角川の流れは変更され、
西寄りとなっていますが、
当時は宿場の脇を通っていたようです。
そこが川港となっていたようで、
川の西側は佐賀藩と蓮池藩の蔵が置かれ、
物資の移入出が行われていました。
その為に宿に色々な商店問屋が並び、
大変繁盛していたという。
■長崎街道の宿場町
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