塩田宿は長崎街道の宿場町だった他、
蓮池藩の西目領地の流通拠点であり、
川港としても大いに栄えていました。
塚崎道が整備されてからは、
旅人の数も減ったようですが、
※かつての本道は塩田道と呼ばれました。
水運に支えられていた町でしたので、
変わらず賑やかな様子だったようです。
嬉野市塩田町周辺。
緑の線が塩田道で青い線が多良海道。
赤丸で囲んだ辺りが宿場のあった場所。
「塩田宿跡」。
古い商家も良く残っており、
平成17年には重伝建に選定され、
街並みの修理保全が進められています。
「杉光陶器店」。
安政2年築の居蔵造の大型町家。
漆喰白壁で防火措置を施しています。
国登録有形文化財。
「西岡家住宅」。
石材業を営んでいた豪商西岡家の商家。
杉光陶器店と同様の漆喰白壁です。
国指定重要文化財。
宿場の街道筋は町屋が多く現存し、
全ては紹介しきれません。
「旧下村家住宅」。
塩田宿内では珍しい草葺きの町屋。
江戸時代は蒟蒻屋だったとのこと。
明治期の当主下村龍吉は、
塩田地区の水資源確保に尽力し、
水道組合設立や簡易水道の設置に関わり、
地元でその業績が称えられています。
「塩田津」。
有明海の干満差を利用して物資が運ばれて、
特に天草から輸送された陶石が集められ、
有田、伊万里、波佐見等に送られた他、
その陶石を砕いて陶土に加工して、
陶土業も盛んに行われたという。
江戸時代の塩田津には江戸より百年早く、
砂糖座(組合のようなもの)が出来たようで、
宿場には菓子屋もあったとされます。
その為に多くの砂糖が運び込まれ、
これらが長崎街道を運ばれて、
上方や江戸にもたらされました。
■長崎街道の宿場町
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