嘉瀬川は古来より灌漑利用された河川で、
江戸時代には佐賀藩の治水工事が度々行われ、
筑紫平野の穀倉地帯の水利を担いました。
しかし同時に水害も多く発生しており、
現在も根本解決に至っていないという。
「嘉瀬川ダム… 続きを読む
佐賀県佐賀市 神代勝利墓所
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嘉瀬川は古来より灌漑利用された河川で、
江戸時代には佐賀藩の治水工事が度々行われ、
筑紫平野の穀倉地帯の水利を担いました。
しかし同時に水害も多く発生しており、
現在も根本解決に至っていないという。
「嘉瀬川ダム… 続きを読む
神代の陣屋町南端に下坊墓地があり、
そこが神代鍋島家の墓所となっています。
「下坊墓地」。
石垣に囲まれた下坊墓地。
大きな自然石の墓石が並んでおり、
神代鍋島家初代及び2代当主の墓と、
その一族の墓所となっています。
「孝岳永忠大禅定門(左)」、
「玉雲妙慶大姉(右)」。
神代鍋島家初代当主… 続きを読む
慶長13年(1608)に佐賀藩肥前神代領は、
鍋島直茂の兄鍋島信房に与えられ、
以降は廃藩置県まで神代鍋島家が、
代々神代領を統治してきました。
その拠点となっていた神代陣屋跡には、
神代鍋島家の邸宅が建てられており、
これを平成16年に当時の… 続きを読む
慈廣寺は佐賀市諸富町にある曹洞宗寺院。
太田道灌の子孫太田浄泉が郎党を従え、
享禄2年(1廣529)に太田郷に下向し、
そこに居城を築いて田中城と称します。
浄泉は龍造寺剛忠の配下となり、
川副東部の守備を任されたとされ、
天文2年(1533に慈廣寺を創建しました。
「… 続きを読む
妙玉寺は佐賀市本庄町鹿子にある日蓮宗寺院。
鍋島家外戚石井家の菩提寺のひとつで、
その諸流の横岳鍋島家、深堀鍋島家が、
菩提寺としていました。
「本堂」。
妙玉寺は元亀元年(1570)の創建で、
元々は同市浄円寺… 続きを読む