佐賀県佐賀市 慈廣寺/太田鍋島家墓所

慈廣寺は佐賀市諸富町にある曹洞宗寺院。
太田道灌の子孫太田浄泉が郎党を従え、
享禄2年(1廣529)に太田郷に下向し、
そこに居城を築いて田中城と称します。
浄泉は龍造寺剛忠の配下となり、
川副東部の守備を任されたとされ、
天文2年(1533に慈廣寺を創建しました。


慈廣寺」。
明治初年頃までは七堂伽藍が完備され、
菩提所として隆盛していたようですが、
鍋島家の庇護が無くなると寺運も衰え、
山門庫裡倉庫禅堂等が売却され、
規模を縮少されてしまいます。
その後の大正9年に庫裡が再建され、
大正15年には庫裡の増築と、
本堂の大修理が成されたとのこと。


太田鍋島家墓所」。
本堂左側にある太田鍋島家の墓所。
[鍋島家之墓]と記載された標柱の色は、
なかなかのセンスですね。

太田鍋島家は龍造寺家及び、
これを継いだ鍋島家に仕えた太田家が、
鍋島姓を与えられた家。
江戸期を通じて家老六家のひとつとして、
藩主家を支えました。

説明の書かれた標柱には、
歴代の墳墓があるとなっていますが、
確認出来たのは後期の当主だけです。

諦運院義觀了道居士」。
一番立派な墓碑ですが、
誰の墓がわかりませんでした。
初代太田茂連のものかもしれませんが、
断定は出来ません・・・。


慈雲院大霖普〇居士」。
10代当主鍋島茂恒の墓。


大樹院仁齊道主我居士(左)」、
瑞昌院玉雲貞光大姉(右)」。
11代当主鍋島茂郷の墓とその室の墓。


俊徳院〇巖道隆居士(右)」、
 智月院圓室明珠大姉(左)」。
12代当主鍋島茂矩の墓とその室の墓。


清輝院得月舎〇居士」。
13代当主鍋島茂快の墓。
9代藩主鍋島斉直の二十九男で、
10代藩主鍋島斉正(閑叟)の弟。


遊智院攵應良機居士
 融心院圓月不昧大姉
」。
14代当主鍋島茂智とその室の墓。
佐賀第百六国立銀行の設立に関与。


直性院全勇道達居士
 貞操院月室淨運大姉
」。
15代当主鍋島資長夫妻の墓。
司法省判任官を務めています。


墓地奥に並ぶ墓碑。
この中に当主の墓が揃ってる筈ですが、
特定は出来ませんでした。

9代以前の太田鍋島家は、
初代太田茂連、2代太田茂歳
3代鍋島茂貞、4代鍋島茂晴
5代鍋島茂道、6代鍋島貞由
7代鍋島茂長、8代鍋島貞長
9代鍋島茂能となっています。

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