宗福寺は常陸国那珂郡小場村に建立され、
領主小場家の菩提寺となっていましたが、
佐竹家家中の領地再編で小田に移り、
後の秋田転封により大館に移転しています。
「本堂」。
現在の本堂は寛永2年(1625)の再建。
平成2年に国指定重要文化財となってます。
裏手に雨香庭と呼ばれる庭園がありますが、
今回は行っていません。
宗福寺墓地は南側の道路向かい。
「佐竹家墓所」。
佐竹墓地は広い墓域ではありますが、
当主も奥方も墓石が非常に小さい。
いわば足軽の墓石かと思う程。
たぶん御霊屋付きだったのでしょう。
初代から23代までの墓所とのことですが、
どう考えても揃ってないと思われます。
長い期間と厳しい気候の為に風化したのと、
秋田戦争で破壊されたのが原因でしょう。
とりあえず特定できた当主の墓を・・。
「小場義躬墓(碑銘読めず)」。
佐竹西家初代とされる小場義躬の墓。
宗家9代当主佐竹義篤の子で、
小場城の城主となって小場姓の名乗り、
後の佐竹西家の初代となっています。
その後、2代惟義、3代義信、4代義実、
5代義忠、6代義宗と続き、
7代義成の頃に秋田転封となって、
大館城代に任じられました。
9代義房の頃に佐竹姓を賜ったようで、
佐竹西家と呼ばれるようになります。
「賢良院殿英心仁雄大居士」。
12代当主佐竹義村の墓。
新規に墓石が建てられた模様。
分家の久保田藩士小場處慶の長男に生まれ、
11代佐竹義方の養子となって家督を相続。
藩主名代として江戸に出府した他、
藩内の銀札発行騒動を処断を担当しています。
「佐竹義種墓(碑銘読めず)」。
14代当主佐竹義種の墓。
13代佐竹義休の子として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
郷校博文書院を設立するなどしていますが、
家政不行届として隠居させられています。
「?」。
こちらも当主のようですが、
誰かわかりませんでした。
「敬齋院殿英覺量雄居士
〇徳院月心暸照大姉(中央)」。
16代佐竹義茂の弟竹田冨治夫妻の墓。
累代墓の次に大きな墓ですが、
当主でもなければ佐竹家でもありません。
19代佐竹義度の実父であった為、
ここに葬られたと思われます。
小さい方はよくわかりません。
幕末の当主佐竹大和こと、
17代佐竹義遵の墓は未確認です。
■関連記事■
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佐竹西家が城代を務めた久保田藩の支城。
・秋田県秋田市 天徳寺/久保田藩佐竹家墓所
久保田藩佐竹家の歴代墓所。