①/②/③
つづき。
14日。
晴。上陸してから今日で一旬余り。
※一旬は10日の事ですが、
上陸してではなく上海に着いてから。
雨は全く降っていない。
この国に雨は降るのであろうか。
終日閉居し英書を読む。
同行の渡辺與八郎の従僕が、
※渡辺與八郎は博多の商人。
昨夜来の急病で今朝冥行したという。
同行者の病は甚だ多し、
諸氏は畏縮し或いは帰りたがっている。
予は一歩出国すれば死を覚悟し、
自分の身は自分で守る他術は無い。
この日佛蘭西の兵卒数百人が、
自軍の艦から上陸。
予は公事があって見れていない。
甚だ遺憾である。
15日。
今朝、官船の水夫兵吉が急病で冥行。
医師は朝夕悪水を飲んだ為という。
故に多くが病人となっている。
この日清人3~4名が寓居に来て筆談。
16日。
今暁また砲撃の音が聞こえた。
同僚の名倉予何人と詩を作った。
※浜松藩士名倉重次郎。
この日予は外出して千歳丸に至り、
五代才助と話して帰館。
また伊藤軍八と清人家を訪ねて筆談。
※浪速處士伊藤軍八は晋作と旧知。
馬路外の書坊に至り書籍を得て帰る。
千街市を徘徊すると土人が近くに来た。
臭気と蒸し暑さで甚だ窮した。
17日。
午前に中牟田と五代と共に川蒸気船に乗る。
甲板に諸器械が置かれている。
船は英国人のもののようだった。
この日は炎熱のように暑く、
汗が流れて衣服が濡れた。
18日。
雨降。梅雨が始まったようだ。
午後に清人張棣香が来たので、
彼の古玩店に行き[鼎様香爐]を求む。
※この時買った香爐は現存しており、
萩博物館に所蔵されています。
共に館に帰り棣香飲と美酒を飲む。
話が弾みとても愉快。
棣香の為に予は孔明の出師表を書いた。
19日。
雨。午後に馬路外の書房に至る。
店主と話して書籍を買って帰った。
20日。
朝。中牟田と亜米利加商館へ行く。
商人の名はチヤルス。
予ら2人はその居室に至る。
チヤルス曰く自分は3~4年横浜に居て、
少し貴邦語が判るとのこと。
明後天に出航するようで、
また貴邦に行きたいという。
甚だ貴邦人が懐かしいと、
予らに良い酒を振る舞ってくれた。
中牟田は英語が解るようで、
会話は明確であったが、
奇問を聞いても益は少なかった。
予はチヤルスに言った。
弟は最近英書が読めるようになったが、
まだ人と会話をする事が出来ない
日夜勉強するので他日再会し、
兄とまた話したいと。
チヤルスはまた言う。
再会日に自分も貴邦語が解るように、
なっているだろうと。
別れを告げて館に帰る。
午飯を食べた後に西門兵衛を訪問。
陳汝欽は気概のある人で、
予と馬が合って筆談は甚だ愉快で、
日が暮れてから帰った。
この日は上海港口で亜米利加蒸気船が失火。
21日。
古玩店に行き書籍と購入。
この日は終日閉坐、
上海の情勢を考える。
志那人の為という外国人の便だが、
英人や佛人が街市を歩き、
清人は皆脇道に避けている。
実は上海の地は志那に属せど、
英佛の属地と言ってもよいだろう。
北京からこの地は300里、
中国の風を吹かせねばならない。
嗟きまた慨歎する。
呂孟正が宋太宗を否めるように、
親近を以って遠きに及ばず。
同邦よ心配する必要は無い。
これは志那だけの問題ではない。
この日書牘を作る。
名倉にこれを託し陳汝欽に贈る。
5月22日。
何も無い。終日俗事を弁えていた。
つづく。
①/②/③
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