高杉晋作の東帆禄①

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高杉晋作は航海術を学ぶ為に軍艦教授所に入所。
丙辰丸に乗ってから江戸まで航海しますが、
江戸に到着後に、修練を投げ出してこれを辞退。
余程辛い目にあったのか?
実際に航海日記である「東帆禄」を読んでみる。


我公はかつて軍艦と製造された。名は丙辰丸。
既に西海、九州四国などは航海しているが、
東海へは未航海である。
庚申の今年、公用は東海へ航行する事となり、
藩士ら数人がこれに参加。予もまたこれに参加。
命が下ったのは閏3月30日。
ある親戚曰く、
東海遠州の大洋を航海したものはおらず、
 辞退した方がよいのではないか?

それに僕は笑って
大丈夫生于宇宙間、何久事筆研、況有公名乎
(男が宇宙の間に生まれ落ちたからには、
 いつまでも筆硯ばかりやってられない。
 ましてや藩公に呼ばれたのだから)」と答えた。

4月5日。
ついに家を出て乗船。船は萩城北の恵比寿岬に繋がれ、
城から1里の場所。
※恵比寿岬は世界遺産恵美須ヶ鼻造船所跡」の事。

4月6日から12日。
雨が降り逆風。船は出航せず、終日箕座していた。

4月13日。
晴天。風は落ち着いた。
朝を待って恵比寿岬を出航し越浜に碇を下す。
黄昏時に風が少し出てきたので越浜を出た。
時を同じくして商船10数隻も津を出たが、
これは皆北国から馬関に行く船で逆風を避けていたもの。
相島に到ったのは夜の四更(午前0~3時頃)。
※風待ちの北前船に様子がわかりますね。


4月13日~14日の行程。

4月14日。
朝、順風に船は進み、昼に風は止んで波も静か。
海面は盃に浸した酒の様。
夜に入ると潮が悪くなり、
蓋覆島に至る頃空は明るくなった。
蓋覆島は支藩の長府候の領地。
萩城下からここまで海路三十三里。
※蓋覆島は現在の蓋井島の事。

4月15日。
風が無く潮もまた悪い。
船は進んでいるように見えて後退している。
午後西風が少し吹き帆は風を受けて一気に赤間関に入る。
ここは山陽一の大港。数隻の船が停泊。
橘花の林のように帆柱が立ち、
淡窓氏の詩「千帆纔去千帆至此是山陽小浪華者」は、
真にこれであろう。
※晋作初の下関。赤間関、馬関と呼ばれていました。
山陽一の大港と記されいるのは、
 今の下関を見ると少し悲しくなりますね。
 淡窓氏は咸宜園広瀬淡窓の事。



4月15日の行程。

つづく。
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