高杉晋作の東帆禄③

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つづき。

4月26日
淹留。小舟で上関に至る。上関は室津と相対し、
その関所はひとつだけ。
漁婦の歌「室津上関棹而通(室津上関竿さして通る)」は
まさにこの景観。
人家は数百、停泊する船の帆柱は絶えず、
馬関から浪速に行く船は必ずここを通る。
昔は村上某がこの地を領していたが、
鉄鋼でここを塞いで通過する船から商税を取った。
上陸して散歩した後、小舟で帰った。
※村上某とは村上水軍の村上義顕の事。
 
4月27日。
船子が上陸して帰らず。昼に帰ってきて出航。
この日は曇風も強く逆風に逆らって進む。
室津から6~7里で夜に入り、
風が益々強くなった。空は墨の如く、
船はどこへ向うかわからない。
船子は話し合って船を戻し、再び室津へ。
船子らはこれを出戻りと呼ぶ。
※上陸して帰らず・・
 昔からいるんですね。こういう人。

4月28日。
早朝室津を出発。日は温かく風弱し。
船はほとんど進まない。
夜に入り予州馬島岬に至る。
昼を午牌に碇を挙げ1里進むが潮が悪い。
予州の風速岬で停泊。
この日、僅か7里。予州馬島、風速皆松山候領地なり。
※風速岬は現在の風早町と思われます。


4月28日から4月29日の行程。

4月29日。
曇風無し、朝、風速岬を出発。
船は少し進んで午後に逆潮となり碇を洋上に入れる。
夜に入り雨風が出てきた。
また碇を挙げ、芸州御手洗岬に入る。
この日の行程7里。
※御手洗岬は呉市大崎下島。戻ってますね。

5月朔日。
風雨で船は出発できず、御手洗に留まる。
粉壁や紅欄が続き海を望む、上陸して散歩。

5月2日。
大風雨。出航は難しいが、順風なので出航。
船子は出航に尽くし、出航すると矢のように進む。
午後、風は益々強くなりたちまち讃州多度津港に入った。


4月29日から5月2日の行程。

5月3日。
晴。船中は皆上陸。
象頭山金毘羅社崇徳天皇廟に行くという。
崇徳院天皇は舟人に敬われている。
象頭山はそのカタチが象に似ているからで、
老松が深く茂り渓の音が聞こえて清潔さがある。
廟祠また重厚で奥深く、金色に輝き来る人を驚かせる。
店に上がって食事して夜に帰る。
象頭山の西は多度津領で東は丸亀領。
その間は広大ゆえに風俗は奢美。
三都の風情に似ている。
この地に日柳某という者いるらしく、
立派ないわゆる侠客で詩賦もよくするという。
僕は彼を訪問したかったが、
この日は同行者があって行けなかった。
※後に晋作を匿った日柳燕石の事を記しています。
 会えなかったのは残念ですね。


つづく。
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試撃行日譜①//////
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