慶応3年に高杉晋作は死去しますが、
その遺骸は遺言により吉田に葬られます。
危篤に際して妾のおうのは遠ざけられ、
臨終や葬儀にも立ち会ってはおらず、
路頭に迷っていたとされていますが、
これを知った山形有朋や伊藤博文は、
おうのを出家させて墓守となる様指示。
山縣の草庵… 続きを読む
下関市吉田 東行庵/東行庵主の墓
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慶応3年に高杉晋作は死去しますが、
その遺骸は遺言により吉田に葬られます。
危篤に際して妾のおうのは遠ざけられ、
臨終や葬儀にも立ち会ってはおらず、
路頭に迷っていたとされていますが、
これを知った山形有朋や伊藤博文は、
おうのを出家させて墓守となる様指示。
山縣の草庵… 続きを読む
高杉家の菩提寺は萩の亨徳寺で、
明治期にその累代墓が建立されましたが、
平成4年に東行庵に移されました。
「高杉家祖先歴代墓」。
高杉家のルーツは安芸武田家とされ、
武田元繁が祖とされますが、
これについては諸説あるようです。
元繁の子とされる… 続きを読む
泉岳寺は港区高輪にある曹洞宗の寺院。
赤穂事件の浅野長矩と赤穂義士の墓があり、
多くの観光客が訪れるお寺です。
慶長17年(1612)に外桜田に創建され、
後の寛永18年(1641)の寛永の大火で焼失。
3代将軍徳川家光の命により、… 続きを読む
山家藩初代藩主谷衛友は、
天正10年に山家に封じられた際、
甲ヶ峰山頂に山城を築城しましたが、
江戸時代に入って山頂部を廃し、
山麓に陣屋を構え山家藩の藩庁とし、
以後は江戸時代を通じて13代続きました。
「表御門」。
陣屋跡は現在山家城址公園となっており、
公園内には梅や桜が植えられて、… 続きを読む
山家藩谷家の大祖谷衛好は斎藤道三に仕え、
斎藤家が滅びると織田信長に仕えました。
始め谷野を称して谷に改めていますが、
いつ頃改称したのかはわかりません。
羽柴秀吉の与力として三木合戦に参加し、
毛利勢の猛攻を受けて衛好は討死。
子の… 続きを読む