慶応3年に高杉晋作は死去しますが、
その遺骸は遺言により吉田に葬られます。
危篤に際して妾のおうのは遠ざけられ、
臨終や葬儀にも立ち会ってはおらず、
路頭に迷っていたとされていますが、
これを知った山形有朋や伊藤博文は、
おうのを出家させて墓守となる様指示。
山縣の草庵… 続きを読む
下関市吉田 東行庵/東行庵主の墓
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慶応3年に高杉晋作は死去しますが、
その遺骸は遺言により吉田に葬られます。
危篤に際して妾のおうのは遠ざけられ、
臨終や葬儀にも立ち会ってはおらず、
路頭に迷っていたとされていますが、
これを知った山形有朋や伊藤博文は、
おうのを出家させて墓守となる様指示。
山縣の草庵… 続きを読む
高杉晋作及び福田侠平の墓の一段低い位置に、
東行庵初代庵主谷梅処の墓があります。
「雪庵梅処尼首座」。
東行庵初代庵主谷梅処の無縫塔。
出自不明ながら芸者此の糸として裏町で働き、
晋作による見受け後はうのと呼ばれました。… 続きを読む