山家藩初代藩主谷衛友は、
天正10年に山家に封じられた際、
甲ヶ峰山頂に山城を築城しましたが、
江戸時代に入って山頂部を廃し、
山麓に陣屋を構え山家藩の藩庁とし、
以後は江戸時代を通じて13代続きました。
「表御門」。
陣屋跡は現在山家城址公園となっており、
公園内には梅や桜が植えられて、
毎年4月に山家桜まつりが開かれるという。
この門は城門をイメージした模擬城門で、
2階は資料館になっています。
「山家城址」碑。
模擬城門前にある跡碑。
「谷霊神社」。
表御門を入ってすぐ現れる谷家の祖霊社。
陣屋の鎮守でもあるようです。
神社の基檀は大きな岩塊のようですので、
陣屋当時もこのような状態でしょう。
園内は遊歩道となっています。
藩に関係する碑など探してみましたが、
陣屋跡を詠んだ元藩士の句碑があるだけで、
顕彰碑などはありませんでした。
「山家城井戸」。
陣屋の石組み井戸。
覗くと未だ水を湛えています。
写真奥は空堀となっており、
石垣や土塁が残っていました。
山家藩2代谷衛政は所領1万6000石から、
弟谷衛冬に1500石、
甥の谷衛之に2500石、
同じく甥の谷衛清に2000石を分与し、
山家藩は1万石となります。
藩の領地は山間部で稲作には適さず、
地の利を生かして林業や和紙造りで、
藩の財政を維持しました。
これが凶作などの影響を受けない為、
安定した藩経営であったという。
鳥羽伏見の戦いで新政府軍が勝利すると、
藩主谷衛滋は上京して恭順の意を示し、
国許でも山陰道鎮撫使に恭順しています。
【山家藩】
藩庁:山家陣屋
藩主家:谷家
分類:1万石、外様大名
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