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広島宿は広島城下にある西国街道の宿場。
毛利家時代の街道は広島城北側を通り、
城下からは遠く離れてましたが、
慶長5年(1600)に福島正則が広島に入ると、
街道を城下町の南側に引き入れます。
その沿道を町人町として商人を呼び込み、
やがて大きな発展を遂げる事となりました。
広島市街中心周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが広島宿跡。
「中島本町」。
元安川と本川に挟まれた中島の北に位置し、
水運による物資集積地となって栄え、
城下随一の繁華街であった場所。
明治以降も栄えていたようですが、
全てが原爆によって一瞬で消滅しました。
現在は平和公園の一部となっており、
道がS字にカーブしてる事だけが、
その面影として残るのみです。
※往時の道は桝形になっていた。
折角なので広島平和公園へ。
「広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)」。
昭和27年に建立された原爆戦没者慰霊碑。
周辺はインバウンドの影響もあり、
多くの外国人観光客がいました。
彼等はどのように感じているのでしょう。
「元安橋」。
最初に元安橋が架橋されたのは毛利家時代。
市内で最も古くからある橋の一つという。
名前の由来は毛利元就の八男毛利元康で、
※元康は厚狭毛利家2代。
彼がこの橋を架けたからとも、
屋敷に続く橋だったからともされます。
東詰を北へ。
街道は真っ直ぐですが、
もう少し寄り道して原爆ドームへ。
「原爆ドーム」。
爆心地付近にある数少ない被爆建造物で、
原爆の惨状を伝える負の世界遺産です。
原爆ドームの南東約100mの場所が爆心地。
「爆心地」。
島内科医院の脇に説明の碑があります。
この上空約600mで原子爆弾が爆発し、
広島市街は壊滅しました。
街道筋へ戻る。
「広島本通り商店街」。
街道筋はアーケード商店街となっており、
東へ直線的に伸びています。
「御茶屋跡」。
アーケードに入って少し行った北側が、
藩営の御茶屋があった場所とのこと。
「赤松薬局(旧金川屋)」。
赤松薬局の前身は金川屋という薬種店で、
元々は備前国金川に在住していましたが、
広島城築城に伴い現在地に店を構えたという。
この本通りで江戸時代より営業しているのは、
この赤松薬局のみのようです。
訪問時は定休日だった模様。
つづく。
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■西国街道の宿場町
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