玖波宿は西国街道の宿場町。
安芸国最西の宿場として栄えましたが、
芸州戦争の戦場となった為、
大きな被害を出したようです。
大竹市玖波周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが玖波宿跡。
「玖波宿跡」。
宿場跡には意外にも商家が残っています。
芸州戦争の被害を免れたものが、
戦後に再建されたものでしょうか?
「角屋の釣井と高札場跡」。
玖波宿には4つの共同井戸があり、
この角屋の釣井はその一つで、
高札場も設置されていました。
人馬の集まる場所として賑わい、
禊や酒造りにも使われたという。
「玖波本陣洪量館跡」。
本陣を務めた新屋平田半左衛門家跡。
赴きのある素敵な民家が建っていますが、
洪量館は芸州戦争で焼失しており、
現在の建物はそれ以降に建てられたもの。
洪量館の名は広島藩家老上田家が、
この平田家の居室に茶室を設け、
そこからの景色が大変に優れていた為、
儒学者福山貞儀が洪量館と命名し、
以降はそう呼ばれるようになったという。
玖波宿は上記したように、
芸州戦争で被害を受けたようで、
戦火で宿場の建物が延焼した他、
敗走した幕軍の宿賃未払等、
宿場は大変な迷惑を被ったそうです。
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